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片府田館(栃木県大田原市) [古城めぐり(栃木)]

DSCN8640.JPG←館跡付近の現況
 片府田館は、下野の名族那須氏の庶流福原氏の居館である。片府田は元は上福原と言われ、那須資隆の4男四郎久隆がこの地に分封され、福原氏を称し、片府田館を築いて居館とした。以後、福原氏歴代の本拠となり、福原氏は那須氏の有力な支族として宗家を支えた。戦国時代に大田原資清は、次男資孝を福原氏に入嗣させて福原氏を乗っ取った。1563年5月、福原資孝は兄弟の大関高増・大田原綱清と共に謀略をもって佐久山義隆を殺害し、佐久山氏を滅亡させて、その遺領は福原氏に併呑された。1590年、資孝の子資保は、大田原氏・大関氏等と共に豊臣秀吉の小田原攻めに参陣して所領を安堵され、新たに佐久山四ツ谷に新館(佐久山古屋敷館)を築いて、片府田館から居城を移し、片府田館は廃館となった。福原氏は江戸時代に入っても交代寄合旗本として存続し、1702年に古の佐久山城二ノ郭に陣屋を築いて移り住み、幕末まで続いた。

 片府田館は、箒川と蛇尾川の合流点に程近い、倉骨丘陵の南麓に築かれていた。東西約140m、南北72mの長方形の居館で、昭和38年の航空写真では田畑の中に外周の堀の形状を残していた。しかし現在は耕地整理で遺構は完全に湮滅している。遺構は残っていないものの、一応市の史跡に指定されている。以前は西側を通る市道脇に館跡の表示があったようだが、現在はなくなっていた。解説板と合わせて、あらためて館跡表示を設置してほしいものである。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.819025/140.066350/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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