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佐久山城(栃木県大田原市) [古城めぐり(栃木)]

DSC03360.JPG←二の丸南側の虎口
 佐久山城は、那須十氏の一つ佐久山氏が築いた城である。那須氏は源平争乱の際、11人の兄弟の内、太郎光隆をはじめ上から9人は平家に味方し、十郎為隆は屋島の戦いで扇を射よとの命に従わず義経の怒りに触れ、末子の与一宗隆が扇を射て武功を挙げて那須氏の家督を継ぐことになった。そして与一の10人の兄は、那須各地に分知されて那須十氏となって宗家を支えた。佐久山氏は与一の兄、次郎泰隆に始まる系統である。泰隆は、佐久山に分封されると佐久山城を築いて居城としたと言われている。以後、佐久山氏歴代の居城となったが、戦国後期の1563年、同じ那須一族の福原資孝に居城を追われて入江野城に逃れ、佐久山城は廃城となった。1590年、福原資孝の子資保は、大田原氏・大関氏等と共に豊臣秀吉の小田原攻めに参陣して所領を安堵され、新たに佐久山四ツ谷に御古屋敷を築いて、片府田城から居城を移した。福原氏は江戸時代に入っても交代寄合旗本として存続し、1702年に古の佐久山城二ノ郭に陣屋を築いて移り住み、幕末まで続いた。

 城は現在の佐久山小学校の裏山に築かれており、御殿山公園となっている。公園化しているため、どこまで旧状が残されているのが不明なところもあるが、全体によく遺構が残っており、特に二の丸周辺の土塁や櫓台、更にその外側(西側)の袖曲輪や土塁、虎口など、中世城郭の雰囲気を濃厚に漂わせている。またバラ園となっている本丸背後にも大きな土塁があり、更にその裏には城中最大の空堀があるようだが、この日は薮がひどく日没も迫っていたので見逃してしまった。更に本丸の東側には土塁と空堀が残されている。
 全体の規模はそれほど大きくないが、手ごろに楽しめる城跡である。
本丸東側の空堀→DSC03374.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/?ll=36.805711,140.006504&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
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