三輪館(栃木県那珂川町) [古城めぐり(栃木)]
←畑の中に残る土塁(写真奥)
三輪館は、歴史不詳の城館である。那須氏の一族片平氏の構築と伝えられ、『日本城郭大系』では、片平氏が片平城を本拠とし、戸田城をその砦に、三輪館を居館として使用したとの説を提示している。尚、西には後城館が隣接している。
三輪館は、権津川西岸の段丘上に築かれている。正確な場所はわかりにくいが、遺構概要が『栃木県の中世城館跡』『那須の戦国時代』よりやや詳しい『日本城郭大系』の記述からすると、河岸段丘の北東端部にあったらしい。昭和20年代の航空写真を見ると、『日本城郭大系』の記述通り北辺と東辺に土塁があり、東辺の土塁の中央部から西に向かって一直線に土塁が伸びている。現地を歩くと、宅地化・耕地化で遺構はかなり失われているが、民家の脇に塚状の土壇や、西に向かって伸びる土塁が畑の中に残っている。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.760513/140.114940/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
三輪館は、歴史不詳の城館である。那須氏の一族片平氏の構築と伝えられ、『日本城郭大系』では、片平氏が片平城を本拠とし、戸田城をその砦に、三輪館を居館として使用したとの説を提示している。尚、西には後城館が隣接している。
三輪館は、権津川西岸の段丘上に築かれている。正確な場所はわかりにくいが、遺構概要が『栃木県の中世城館跡』『那須の戦国時代』よりやや詳しい『日本城郭大系』の記述からすると、河岸段丘の北東端部にあったらしい。昭和20年代の航空写真を見ると、『日本城郭大系』の記述通り北辺と東辺に土塁があり、東辺の土塁の中央部から西に向かって一直線に土塁が伸びている。現地を歩くと、宅地化・耕地化で遺構はかなり失われているが、民家の脇に塚状の土壇や、西に向かって伸びる土塁が畑の中に残っている。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.760513/140.114940/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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