戸田城(栃木県那珂川町) [古城めぐり(栃木)]
←城域南端の二重堀切
戸田城は、東戸田城とも呼ばれ、神田城の西1.3km、片平城の北1.5km程の山上に築かれた山城である。比高は40m程で、金枝城などと同じく低山に築かれている。築城者は不明であるが、片平城に近いことから、那須氏の一族片平氏の築城の可能性が考えられる。
この城は見つけるのに苦労した。まず城の築かれた山が正確に特定できなかった上、ようやく見つけた道端の標柱から山中に伸びる道には、他の人のサイトに書かれている城に入る分かれ道も見つからず、結局1時間以上も近くをうろうろと彷徨う羽目になった。これ以上時間を掛ける訳にもいかないので、登城を諦めようかと思ったほどである。ようやく見つけた戸田城は、遺構はまあまあの規模である。すんなり登れた城だったら中々楽しめた城のはずなのだが、1時間も費やして苦労して登った城にしては、何だこの程度かという気持ちになってしまった。
戸田城は、主郭の全周に横堀をめぐらして防御を固め、その横堀を派生させて、周囲の郭の周りにも堀をめぐらしている。主郭には北側と南東側の2ヶ所の虎口がある。主郭の南側は小曲輪を挟んで二重堀切で遮断している。主郭の南東斜面には何段かの削平地が広がり、居住区であった可能性がある。主郭北側には二ノ郭があり、主要部はここで終わるが、更にここから北東に城域は延びていて、ちょっと北に離れたところの緩斜面にも堀切が残っていたりする。堀はいずれも小さいもので、1~2mの深さしかない。後に訪れた片平城に比べると、城の造りもやや簡素で規模も小さく、あくまで出城として作られた城のように感じられた。
お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.754788/140.112773/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
戸田城は、東戸田城とも呼ばれ、神田城の西1.3km、片平城の北1.5km程の山上に築かれた山城である。比高は40m程で、金枝城などと同じく低山に築かれている。築城者は不明であるが、片平城に近いことから、那須氏の一族片平氏の築城の可能性が考えられる。
この城は見つけるのに苦労した。まず城の築かれた山が正確に特定できなかった上、ようやく見つけた道端の標柱から山中に伸びる道には、他の人のサイトに書かれている城に入る分かれ道も見つからず、結局1時間以上も近くをうろうろと彷徨う羽目になった。これ以上時間を掛ける訳にもいかないので、登城を諦めようかと思ったほどである。ようやく見つけた戸田城は、遺構はまあまあの規模である。すんなり登れた城だったら中々楽しめた城のはずなのだが、1時間も費やして苦労して登った城にしては、何だこの程度かという気持ちになってしまった。
戸田城は、主郭の全周に横堀をめぐらして防御を固め、その横堀を派生させて、周囲の郭の周りにも堀をめぐらしている。主郭には北側と南東側の2ヶ所の虎口がある。主郭の南側は小曲輪を挟んで二重堀切で遮断している。主郭の南東斜面には何段かの削平地が広がり、居住区であった可能性がある。主郭北側には二ノ郭があり、主要部はここで終わるが、更にここから北東に城域は延びていて、ちょっと北に離れたところの緩斜面にも堀切が残っていたりする。堀はいずれも小さいもので、1~2mの深さしかない。後に訪れた片平城に比べると、城の造りもやや簡素で規模も小さく、あくまで出城として作られた城のように感じられた。
北のはずれにある堀切→
←南東斜面の削平地お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.754788/140.112773/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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