稲沢氏館(栃木県那須町) [古城めぐり(栃木)]
←国道脇に残る土塁
稲沢氏館は、伊王野氏の一族稲沢氏の居館である。鎌倉時代前期に、伊王野次郎資長の弟五郎資家がこの地に分知されて稲沢氏を称し、この館を築いたと考えられている。以降、江戸初期まで那須氏の羽翼として多くの戦いで活躍したが、子孫は黒羽城主大関氏に仕えて黒羽城下に移住して、この地には稲沢氏支家が残った。
稲沢氏館は、黒川西岸の平地に築かれている。西側には堀を兼ねていた小川(現在は水路)が流れている。国道294号線沿いにあり、国道脇に土塁が残っている。館跡は民家になっているので、立入りはできないが、外周の土塁は見ることができる。残っているのは全周ではなく、東辺の半分ほどと北辺だけの様である。また郭内は、北側1/3を区画するように東西に土塁が築かれ、南北2郭に分かれていた様である。車道脇の土塁には、「稲沢氏居館跡」の石碑が立っている。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.927270/140.131516/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
稲沢氏館は、伊王野氏の一族稲沢氏の居館である。鎌倉時代前期に、伊王野次郎資長の弟五郎資家がこの地に分知されて稲沢氏を称し、この館を築いたと考えられている。以降、江戸初期まで那須氏の羽翼として多くの戦いで活躍したが、子孫は黒羽城主大関氏に仕えて黒羽城下に移住して、この地には稲沢氏支家が残った。
稲沢氏館は、黒川西岸の平地に築かれている。西側には堀を兼ねていた小川(現在は水路)が流れている。国道294号線沿いにあり、国道脇に土塁が残っている。館跡は民家になっているので、立入りはできないが、外周の土塁は見ることができる。残っているのは全周ではなく、東辺の半分ほどと北辺だけの様である。また郭内は、北側1/3を区画するように東西に土塁が築かれ、南北2郭に分かれていた様である。車道脇の土塁には、「稲沢氏居館跡」の石碑が立っている。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.927270/140.131516/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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