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下田島城(群馬県太田市) [古城めぐり(群馬)]

DSCN0021.JPG←南西部の櫓台跡
 下田島城は、現地解説板には岩松城と記載され、江戸時代前期の1663年に岩松秀純が構えた陣屋である。はっきりしないが、元々戦国時代に下田島城が前身として存在していたらしい。秀純の祖父守純は、重臣由良氏(横瀬氏)の下剋上によって没落していたが、1590年に徳川家康が関東に入部すると、家康に召し出された。岩松氏は新田一族の出自で、南北朝時代に新田宗家が南朝方に付いて衰亡した後、新田荘を掌握した岩松氏がその名跡を継承し、実質的に新田氏の嫡流となっていた。家康は、自身が新田氏の一族世良田徳川氏の後裔を称したことから、本家筋の守純に新田氏の系図を譲るよう要求したが、守純はこれを拒絶した。そのため家康の不興を買い、新田郡市野井でわずか20石の捨扶持を給されたのみであった。その後、豊純・秀純と続き、1663年に4代将軍家綱から100石を加増され、下田島城に陣屋を移した。明治に入ると新田姓を名乗り、男爵の地位が与えられた。

 下田島城は、現在太田フレックス高校(旧尾島女子高校)の校地に変貌している。『日本城郭大系』ではほぼ完全に遺構が残っていると記されているが、国土地理院の空中写真閲覧サービスで過去の航空写真を見ると、昭和40年代前半には校地拡張で破壊されている。現在はわずかに南西部の土塁と櫓台が残っている。『大系』の縄張図を見ると、北西に張出しの櫓台を持ち、北東に鬼門除けの角欠けを設け、全周を土塁で囲んだ単郭の城だった様だ。学校の校地拡張で遺構を破壊したことは、誠に残念でならない。解説板も消えかかっているのが悲しい。尚、学校の敷地内なので、見学に当たっては許可が必要である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.265262/139.315073/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:陣屋
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