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新田の庄 その3(群馬県太田市・伊勢崎市) [古城めぐり(群馬)]

 新田一族が蟠踞した新田の庄。太田市周辺は、知る人ぞ知る新田源氏一族の史跡の宝庫である。以前に2度にわたって各所に散在している史跡を訪問しているが、今回はその補遺。

<田中館>
DSCN9990.JPG←北側に残る土塁跡らしい土盛り
 田中館は、新田氏の一族田中五郎義清の居館である。義清は、新田義重の子里見義俊の5男で、田中村に分封されて田中氏を称した。承久の乱の後、大島・大井田・鳥山などの新田一族が越後に移住して越後新田党を形成すると、田中氏も越後に移り、越後新田党の一員となった。南北朝の動乱では、新田義貞の挙兵に従った一族の中にも「越後国の一族、里見・鳥山・田中・大井田・羽川の人々」と『太平記』(第10巻)にあり、田中修理亮氏政は湊川合戦や武蔵野合戦など各地に転戦した。
 田中館は、現在長慶寺の境内となっている。元は放(宝)光寺と言ったらしいが、南朝第3代長慶天皇を新田一族が奉じて戦ったことから、長慶天皇の伝承の御陵塚を祀り、長慶寺と名を改めたと言う。遺構としては、境内北側に土塁跡らしい土盛りが残るだけである。尚、境内には長慶天皇と田中義清の宝篋印塔が残っている。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.299424/139.277576/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


<上田中屋敷>
周囲の水堀→DSCN9998.JPG
 上田中屋敷は、上田中馬場館とも言い、新田氏の庶流田中氏の一族と思われる岩崎氏の居館である。現在は民家の敷地となっているが、四周を囲む水堀がしっかりと残っている。この水堀は、国土地理院の1/25000地形図でもしっかりと描かれている。これほどしっかりと全周の水堀が残っている民家は珍しく、貴重である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.305598/139.269959/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


<西今井館>
DSCN0007.JPG←館跡の民家
 西今井館は、鎌倉時代に新田氏の一族今井氏の居館で、後の戦国時代には茂木氏の居館であったと伝えられる。茂木氏は桐生から移り住んだと言われ、当時境城主であった小此木氏と結縁があったと言う。
 西今井館は、西今井中世居館跡という史跡名で市の史跡に指定されている。現在は民家になっており、南と東に堀跡の水路が流れているようだが、夏場だと草むらに隠れてしまっていて、一部しかよくわからなかった。ちょっと残念な状況である。尚、堀は早川の水を貯水し、堰は水量調節の役目を果たすなど用水管理の一面を持っていたとされる。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.285865/139.264723/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


<安養寺館>
館跡の明王院→DSCN0110.JPG
 安養寺館は、新田義貞の館であったと推測されている。峰岸純夫著『新田義貞』によれば、義貞の法号は「安養寺殿」で、安養寺は義貞の菩提寺でもあった。また南の「寺屋敷」の部分から南北朝期の板碑・陶磁器類が多数出土し、明王院南西隅の一角で大規模な堀の一部が確認されたと言う。
 安養寺館は、現在は安養寺明王院の境内となっている。遺構は全く無い。ただ、義貞の弟で義貞死後も南朝方として各地を転戦し、最後は伊予で病没した脇屋義助を供養する板碑が、境内裏手に残っている。尚、明王院は、新田触れ不動尊としても知られる。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.258912/139.303240/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


<一井兵部屋敷>
DSCN0006.JPG←北側の堀跡
 一井兵部屋敷は、新田氏の一族一井兵部大輔貞政の屋敷である。一般には「蛇屋敷」とよばれるが、兵部屋敷の転訛である。貞政は、新田政義の3男堀口家定の2男で、一井(現・市野井)に分封されて一井氏を称した。貞政は、新田義貞に従って各地を転戦し、1337年に越前金ヶ崎城で厳しい籠城戦の末、新田義顕(義貞の嫡男)・尊良親王(後醍醐天皇の第1皇子)と共に戦死した。しかしその後も越前で戦った一井兵部少輔氏政が知られ、氏政は畑時能と共に鷹巣城に立て籠もり、城を包囲した斯波高経率いる幕府軍に徹底抗戦した。
 一井兵部屋敷は、現在工場と民家の敷地となっている。工場の北側に唯一の現存遺構である湧水の堀が残り、「新田の湧水 一の字池」という解説板が立っている。その中に、一井貞政の事も書かれている。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.313880/139.308304/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※過去の新田の庄の記事は、こちらこちら


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