十組屋敷(山梨県甲州市) [古城めぐり(山梨)]
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(2020年7月訪城)
十組屋敷は、江戸初期の伊丹氏の屋敷である。元は武田氏の時代から陣屋・蔵所が置かれていたとも言われる。甲府城主徳川忠長改易後の1633年、勘定奉行の伊丹播磨守康勝が甲府城番となり、合わせてこの地方の10ヶ村3,000石の加増を受けて大名に列し、ここに陣屋・蔵所を置いて徳美藩(十組の当て字)を立藩した。そのため十組屋敷と呼ばれる。康勝は武田氏時代には大久保長安・田辺庄右衛門等と共に武田氏の蔵前衆(武田氏直轄領からの年貢・銭貨・諸公事物が貯蔵された御蔵を管理運営する役人)であったが、後に徳川氏に仕え、勘定奉行・佐渡金山奉行として活躍した。1698年、4代左京勝守が江戸城内で自害したため、徳美藩は改易となり、領地は収公され廃所になったと言う。その後は、三日市場村の名主の居宅となった。
十組屋敷は、現在は民家となっている。県道38号線沿いにある普通の民家にしか見えないが、塀沿いに屋敷標柱が立っている。民家なので内部探索はしていないが、外目に見た限り遺構はない。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.721378/138.714613/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
(2020年7月訪城)
十組屋敷は、江戸初期の伊丹氏の屋敷である。元は武田氏の時代から陣屋・蔵所が置かれていたとも言われる。甲府城主徳川忠長改易後の1633年、勘定奉行の伊丹播磨守康勝が甲府城番となり、合わせてこの地方の10ヶ村3,000石の加増を受けて大名に列し、ここに陣屋・蔵所を置いて徳美藩(十組の当て字)を立藩した。そのため十組屋敷と呼ばれる。康勝は武田氏時代には大久保長安・田辺庄右衛門等と共に武田氏の蔵前衆(武田氏直轄領からの年貢・銭貨・諸公事物が貯蔵された御蔵を管理運営する役人)であったが、後に徳川氏に仕え、勘定奉行・佐渡金山奉行として活躍した。1698年、4代左京勝守が江戸城内で自害したため、徳美藩は改易となり、領地は収公され廃所になったと言う。その後は、三日市場村の名主の居宅となった。
十組屋敷は、現在は民家となっている。県道38号線沿いにある普通の民家にしか見えないが、塀沿いに屋敷標柱が立っている。民家なので内部探索はしていないが、外目に見た限り遺構はない。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.721378/138.714613/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:陣屋
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