SSブログ

大村氏屋敷(山梨県山梨市) [古城めぐり(山梨)]

DSCN1696.JPG←西側の空堀・土塁
(2020年7月訪城)
 大村氏屋敷は、間瀬屋敷とも言い、山梨郡中牧に根拠地を置いた土豪大村氏の居館である。武田信玄の時代に、大村加賀守晴忠が城古寺城の城代となり、雁坂口の警護に当たった。1582年の天正壬午の乱で、大村氏を中心とする大村党は北条方に付いて大野砦に立て籠もったが、徳川方の穴山衆に急襲されて敗れ、滅亡した。その後、一族の間瀬氏が大村氏の屋敷跡に入り、今に続いている。

 大村氏屋敷は、城古寺城から北西に約1.4kmの緩傾斜地に築かれている。小楢山南東の裾野の只中の傾斜地で、南西側には沢筋が入り込んでいる。縦長の五角形をした屋敷地で、全体が傾斜した地勢にあるため、郭内は2~3段の平場に分かれている様である。しかし現在も間瀬家の宅地であるため、内部を見ることはできない。外周を小道に沿って巡ると、北と西側に土塁が残っており、西側には空堀も穿たれている。北側の小道も窪地にあるので、空堀跡かもしれない。西側の土塁の基部には石積みが見られるが、遺構かどうかは不明である。屋敷内には、大村加賀守墓と刻まれた地蔵尊があるというが、前述の通り民家の敷地内なので、見ることはできない。大村氏屋敷は、パッと見にはただの民家にしか見えないが、なかなか明確な遺構が残っている。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.755794/138.700697/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


甲斐の山城と館〈下〉東部・南部編―縄張図・断面図・鳥瞰図で見る

甲斐の山城と館〈下〉東部・南部編―縄張図・断面図・鳥瞰図で見る

  • 作者: 宮坂 武男
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2014/07/01
  • メディア: 単行本


nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 5

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント