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栗原氏館(山梨県山梨市) [古城めぐり(山梨)]

DSCN2409.JPG←わずかに残る土塁跡
(2020年8月訪城)
 栗原氏館は、武田氏の庶流栗原氏の居館である。武田氏11代信成の子十郎武続が東郡栗原郷に館を構え、栗原氏を称したことに始まる。以後、栗原一族は東郡の雄として栗原郷を中心に強大な勢力園を築いた。嘉吉年間(1441~44年)から永正年間(1504~21年)にかけての甲斐の下剋上時代には、守護武田氏と守護代跡部氏との間で激しい抗争があり、その中で岩崎一族が大半戦死したが、栗原氏も多くの犠牲者を出したものと見られる。1519年に武田信虎が甲斐統一を図り、守護所を歴世の石和(川田館)から甲府(躑躅ヶ崎館)に移して家臣団も甲府に移住させると、栗原信友を始めとする大井氏・逸見氏らの有力国人衆が新体制に反発して戦いとなった。しかし次第に鎮圧されて、武田氏の家臣団に組み込まれた。『甲陽軍鑑』によれば、信虎・信玄に仕えて活躍したのは、伊豆守信友・左衛門佐昌清・その子左兵衛尉詮冬(のりふゆ)等であった。武田氏滅亡後、栗原氏は徳川家康に仕えたと言う。

 栗原氏館は、大翁寺境内を中心とした一帯にあったとされ、近接する海島寺・妙善寺・大法寺の境内を含む、広大なものであったと考えられている。しかし遺構は湮滅が進んでおり、残っているのは大翁寺の北東にある小道脇の土塁と、大翁寺西側の入口脇に残る堀跡の水路だけである。大翁寺の墓地の北辺も一段高くなっていて、これも土塁跡とされるが、墓地造成の改変によりわかりにくくなってしまっている。大翁寺には栗原氏に関する解説板が立っているが、遺構としてはかなり残念な状況である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.665769/138.697361/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


縄張図・断面図・鳥瞰図で見る 甲斐の山城と館

縄張図・断面図・鳥瞰図で見る 甲斐の山城と館

  • 作者: 宮坂武男
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2014/03/24
  • メディア: 単行本


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