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小笠原長清館(山梨県南アルプス市) [古城めぐり(山梨)]

DSCN2693.JPG←館跡碑が建つ小笠原小学校
(2020年8月訪城)
 小笠原長清館は、後に信濃守護となった小笠原氏の祖、小笠原長清の居館である。長清は、甲斐源氏の一族加賀美遠光の次男で小笠原氏を称した。長清は、兄秋山光朝と共に京都で平知盛に仕えていたが、源氏挙兵の動きに応じて1180年10月に甲斐に帰国し、駿河へ出兵した甲斐源氏一族を追って合流した。以後、平家追討で功を挙げた。1185年の平家滅亡後、父遠光は信濃守となり、その子長清も同国伴野荘の地頭となって、東信濃に勢力を拡大した。甲斐源氏の多くが源頼朝に粛清されたが、父遠光と共に長清は粛清を免れ、1221年の承久の乱では東山道大将軍の一人として活躍した。その功により阿波守護にも任じられ、小笠原氏繁栄の礎を築いた。1242年に81歳で京都で没した。

 小笠原長清の館は、候補地が2つ伝えられ、北巨摩郡明野村(現・北杜市)とここ、中巨摩郡櫛形町(現・南アルプス市)である。2ヶ所とも小笠原の地名が残るが、いずれの地名をもってその名としたかは不明と言う。しかし両所とも長清との所縁を伝えており、明野村には長清寺に小笠原長清の供養塔が残り、この櫛形町には長清の祠堂が明治中期に建てられた。小笠原小学校付近の小字を「御所庭」と言うことから、小学校付近に館があったと推測されているが、遺構もなく、館の範囲・形状を特定できるものはない。小学校校庭の脇に館跡の石碑が立っているだけである。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.609790/138.461777/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:居館
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