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富田城(山梨県南アルプス市) [古城めぐり(山梨)]

DSCN2684.JPG←城の顕彰碑
(2020年8月訪城)
 富田城は、甲斐武田氏の庶流大井信達の支城である。城主は富田対馬守範良と伝えられる。大井氏は上野城を本拠として西郡に大きな勢力を有し、駿河の今川氏親の援助を受けて若い武田信虎に反抗し、信虎と度々交戦した。この両者の戦いは今川氏の介入もあって1517年まで続いたが、同年3月、武田氏と今川氏との間で和睦が成立し、大井氏も信虎に降った。この時、信達の娘が信虎の正室となり、武田信玄の生母となった。しかしその後も今井氏・栗原氏らと反抗したが、1520年に敗れて信虎の家臣となった。翌21年9月、今川氏の部将で遠州土方城(高天神城)主福島正成が1万5千の大軍を率いて甲斐へ侵攻した。このとき富田城は9月16日に落城し、今川勢の前進基地となった。その後、今川勢は甲斐府中の武田信虎の館(躑躅ヶ崎館)を目指して進撃を開始し、登美の龍地台に布陣して荒川を挟んで信虎の軍勢と対峙した。10月16日の飯田河原合戦で信虎勢は勝利し、続く11月23日の上条河原合戦でも信虎は今川勢に大勝した。大敗した今川勢は総大将の福島正成を始め多くの部将を失い、富田城へ敗走した。そのまま越年し、1月14日に駿河に引き上げたと言う。

 富田城は、河川氾濫が繰り返された平地にあったため、その場所は特定されていない。一説には釜無川の支流滝沢川の西岸にあったとされる。現在は国道52号線沿いの公園の一角に「富田城顕彰之碑」が建っているだけである。碑文には、石碑から南東540mに城があったと書かれているが、そこは工業団地に変貌している。その近在には的場・御前・お西等の地名が残っていると言う。戦国甲斐の歴史上、重要な城であるが、遺構が全く無いのは地勢上、致し方のないことであろう。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.583356/138.475059/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:中世平城
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