オカグラ山楯(山形県山形市) [古城めぐり(山形)]
←主郭
(2020年11月訪城)
オカグラ山楯は、最上氏の支城である。『性山公治家記録』によると、1574年の最上義守・義光父子の争いの時、義守方に付いた長崎某が敵対する義光方の籠もるオカグラ山楯を攻撃したと伝えられている。その後の歴史は不明であるが、西部一帯の見張所として、また畑谷城との連絡用の要地として重要な役割を負っていたと推測される。尚、オカグラ山楯の近くには、1600年の慶長出羽合戦の際に撤退する上杉軍と追撃する最上軍の間で激戦が展開された女子林古戦場があり、この城の位置の重要性が推測される。
オカグラ山楯は、七ッ松集落の北にそびえる標高360mのオカグラ山に築かれている。この城に登るには、七ッ松集落から北西に伸びる山道(国土地理院1/25000地形図に記載のある道)を歩いて進み、南沢川を渡って(但し渡河する部分の道は崩れているので、近くの渡りやすいところから適当に北側に渡る必要がある)東に100m程進むと、東の尾根伝いに登っていく道が分岐しているので、これを東に登っていけば城に到達できる。おそらくこの道が往時の大手道だったのだろう。
オカグラ山楯は、山頂に小規模な主郭を置き、西尾根と南東尾根に数段の段曲輪群を築いている。また北東にも腰曲輪があり、その先に小掘切が穿たれている。主郭と西尾根曲輪群は比較的薮が少ないが、南東と北東の尾根は草木が多くて遺構の確認が大変である。この城で出色なのは、大手に当たる西尾根曲輪群の先に穿たれた堀切と連携した畝状竪堀で、堀切から北側に落ちる竪堀の東側に7本、西側にも1本穿たれている。これは、南斜面は急峻だが北斜面はやや傾斜が緩いので、西の大手道から北斜面に敵兵が回り込むのを阻止する意図で構築されたものだろう。物見と連絡を主任務とした小規模な城砦であるが、大手に構築された畝状竪堀がこの城の重要性をうかがわせている。
お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.240927/140.232443/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
(2020年11月訪城)
オカグラ山楯は、最上氏の支城である。『性山公治家記録』によると、1574年の最上義守・義光父子の争いの時、義守方に付いた長崎某が敵対する義光方の籠もるオカグラ山楯を攻撃したと伝えられている。その後の歴史は不明であるが、西部一帯の見張所として、また畑谷城との連絡用の要地として重要な役割を負っていたと推測される。尚、オカグラ山楯の近くには、1600年の慶長出羽合戦の際に撤退する上杉軍と追撃する最上軍の間で激戦が展開された女子林古戦場があり、この城の位置の重要性が推測される。
オカグラ山楯は、七ッ松集落の北にそびえる標高360mのオカグラ山に築かれている。この城に登るには、七ッ松集落から北西に伸びる山道(国土地理院1/25000地形図に記載のある道)を歩いて進み、南沢川を渡って(但し渡河する部分の道は崩れているので、近くの渡りやすいところから適当に北側に渡る必要がある)東に100m程進むと、東の尾根伝いに登っていく道が分岐しているので、これを東に登っていけば城に到達できる。おそらくこの道が往時の大手道だったのだろう。
オカグラ山楯は、山頂に小規模な主郭を置き、西尾根と南東尾根に数段の段曲輪群を築いている。また北東にも腰曲輪があり、その先に小掘切が穿たれている。主郭と西尾根曲輪群は比較的薮が少ないが、南東と北東の尾根は草木が多くて遺構の確認が大変である。この城で出色なのは、大手に当たる西尾根曲輪群の先に穿たれた堀切と連携した畝状竪堀で、堀切から北側に落ちる竪堀の東側に7本、西側にも1本穿たれている。これは、南斜面は急峻だが北斜面はやや傾斜が緩いので、西の大手道から北斜面に敵兵が回り込むのを阻止する意図で構築されたものだろう。物見と連絡を主任務とした小規模な城砦であるが、大手に構築された畝状竪堀がこの城の重要性をうかがわせている。
西尾根の段曲輪群→
←畝状竪堀お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.240927/140.232443/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
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