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女子林古戦場(山形県山形市) [その他の史跡巡り]

DSCN5710.JPG←古戦場の解説板
(2020年11月訪問)
 女子林古戦場は、1600年の慶長出羽合戦の際に、撤退する上杉軍と追撃する最上軍の間で激戦が展開された戦いの場である。慶長出羽合戦の経緯は長谷堂城の項に記載する。大軍で長谷堂城を囲んだものの、最上方の巧みな防衛戦により城を攻めあぐねた直江兼続率いる上杉勢は、関ヶ原合戦の西軍敗戦の報に接し、撤退を開始した。上杉勢は、富神山の南側と南沢・早坂林道方面に分かれて退却したが、それを察知した最上義光は針生熊蔵、月岡八右衛門等に追撃を命じた。一隊は山王で上杉勢に追いつき激しい攻防戦が繰り広げられた。もう一隊は早坂林道に先回りをし、オカグラ山麓の南沢を退却する上杉勢を捕捉することに成功し、女子林という急な山道となる場所で上杉勢を攻撃した。東軍勝利の報に勢いづいた最上勢の追撃は厳しく、両軍銃撃戦を交え、敵味方入り乱れての激烈な戦いが展開された。双方多数の死傷者を出し、最上方の記録では、この合戦に味方の兵600余人を失ったが、上杉勢の首級1580余を獲ったと言われている。慶長出羽合戦での最大の犠牲者を出した戦いとなった。

 女子林古戦場は、オカグラ山楯の西側の丘陵地帯にあったらしい。古戦場の解説板が、七ッ松集落内と、集落から北西に伸びる山道の奥(オカグラ山楯に向かって南沢川を渡河する付近)に立てられている。集落内にある地図によれば、山道の奥の解説板から更に北西に入ったところが古戦場であるらしい。しかし耕作放棄地の薮が広がっているだけで、何も確認できない。ここでは解説板の位置を示すに留めておく。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.241231/140.228623/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:古戦場
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