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小野城(宮城県川崎町) [古城めぐり(宮城)]

DSCN9192.JPG←主郭後部の土塁と堀切
(2020年11月訪城)
 小野城は、伊達氏の家臣小野雅楽之允の居城である。小野氏は、砂金城主砂金氏・上楯城主支倉氏と並ぶ川崎地方の豪族で、戦国時代頃から伊達氏の家臣となり、伊達稙宗・晴宗父子が争った伊達天文の乱では晴宗に属して戦功を挙げた。また1576年に伊達輝宗が相馬盛胤との間で伊具郡の領有を巡って争った際には、小野氏は砂金氏・支倉氏と共に参陣した。1588年、伊達政宗が大崎氏家中の内紛に軍事介入した大崎合戦では、小野雅楽之允は支倉紀伊と共に出陣した。1600年の慶長出羽合戦では、伊達政宗が山形城主最上義光に援軍を送った際、小野雅楽之允・弥七郎も従軍したと言う。江戸時代に入り、幕藩体制が確立すると、小野氏は仙台伊達藩から「召出」の家格を与えられ、小野城の故地に屋敷を構えて代々居住し、そのまま幕末まで存続した。

 小野城は、小野集落の北側にそびえる標高230.1m、比高70m程の丘陵上に築かれている。現在城跡は山林が伐採されて整備されているので、遺構がよく確認できる。頂部に東西に長く広い主郭を置き、背後に堀切を挟んで西郭を置いている。西郭の背後も堀切で分断しているが、西郭は薮だらけでほとんどその形状がわからない。主郭は3段の平場に分かれ、堀切沿いと北辺に土塁を築き、南東に虎口を築いている。主郭の南北の斜面には腰曲輪を築いており、特に南斜面には3段以上の腰曲輪があり、一番広いものが二ノ郭とされている。二ノ郭には熊野神社が建っている。また主郭の東尾根には段曲輪群が置かれ、堀切と竪堀が確認できる。この他、南東の腰曲輪には横堀も穿たれている。主郭の北側1/3はフェンスで仕切られ、立入禁止となっているが、現地で入手できるパンフレットの縄張図によれば、北面の山腹にも横堀がある様だ。小野城は、主郭は広いものの全体の規模はさほど大きくはなく、それほど技巧的な縄張りでもないが、整備により遺構が確認しやすいのがありがたい。
主郭東側の段曲輪群と堀切→DSCN9165.JPG
DSCN9146.JPG←南東山腹の横堀
 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.187989/140.665115/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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