郷六館(宮城県仙台市) [古城めぐり(宮城)]
←北辺の土塁
(2020年11月訪城)
郷六館は、国分氏の一族郷六大膳盛元の居館である。郷六氏は、国分盛氏の庶子盛政を祖とし、宮城郡国分荘の内、愛子・郷六の2郷を領し、郷六館に居住していたと言う。天正年間(1573~92年)に伊達政宗の叔父国分盛重が家中の統制が取れずに政宗の家臣となると、国分氏の家臣団は政宗直轄の国分衆として再編され、郷六氏は郷六村を没収されて郷六館は廃館となった。1598年、元猶が当主の時に郷六氏は森田氏に姓を改めた。
郷六館は、広瀬川曲流部西岸にある比高10m程の丘陵上に築かれている。対岸には葛岡城がある。周囲は宅地化・市街化が進んでいるが、郷六館は奇跡的にその遺構を残している。周囲より一段高くなった、ほぼ方形をした畑地で、北面と西面には土塁が築かれ、主郭内は2段の平場に分かれている。主郭の塁線は全て直線ではなく、北面で歪んでおり、南西では櫓台状に突出している様であるが、西側は薮が激しく確認が難しい。また畑に通じる小道のある北面には腰曲輪が置かれ、その北側には堀跡が残っている。西側にある水路も堀跡で、南には幅広の水堀跡が低地となって残っている。いかにも小豪族の居館という雰囲気の漂う館跡である。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.261502/140.814096/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
(2020年11月訪城)
郷六館は、国分氏の一族郷六大膳盛元の居館である。郷六氏は、国分盛氏の庶子盛政を祖とし、宮城郡国分荘の内、愛子・郷六の2郷を領し、郷六館に居住していたと言う。天正年間(1573~92年)に伊達政宗の叔父国分盛重が家中の統制が取れずに政宗の家臣となると、国分氏の家臣団は政宗直轄の国分衆として再編され、郷六氏は郷六村を没収されて郷六館は廃館となった。1598年、元猶が当主の時に郷六氏は森田氏に姓を改めた。
郷六館は、広瀬川曲流部西岸にある比高10m程の丘陵上に築かれている。対岸には葛岡城がある。周囲は宅地化・市街化が進んでいるが、郷六館は奇跡的にその遺構を残している。周囲より一段高くなった、ほぼ方形をした畑地で、北面と西面には土塁が築かれ、主郭内は2段の平場に分かれている。主郭の塁線は全て直線ではなく、北面で歪んでおり、南西では櫓台状に突出している様であるが、西側は薮が激しく確認が難しい。また畑に通じる小道のある北面には腰曲輪が置かれ、その北側には堀跡が残っている。西側にある水路も堀跡で、南には幅広の水堀跡が低地となって残っている。いかにも小豪族の居館という雰囲気の漂う館跡である。
南の幅広の水堀跡→
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.261502/140.814096/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:居館
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