藤本館(栃木県宇都宮市) [古城めぐり(栃木)]
←南側の空堀跡
藤本館は、高橋城とも言い、宇都宮氏の家臣高橋氏の居城である。伝承では、高橋氏は元々源頼朝の重臣で三河国を本拠としていたが、源氏滅亡に伴って三河を離れ、宇都宮氏9代貞綱に仕えたと言われる。その後、宇都宮氏13代持綱の時に帰農したと言う。
藤本館は、姿川支流の小河川の東の段丘上に築かれている。現在、城主のご子孫の宅地となっている。南に空堀が穿たれ、門前には解説板が設置されている。宅地の東から北にかけて、南東部に横矢のクランクを設けた空堀が穿たれているらしく、傾斜量図で見ると規模が大きそうだが、夏場は薮に覆われていてほとんど確認できない。また宅地内には1376年の北朝年号のある宝篋印塔があり、城の古さを示すものと言う。尚、藤本館から少し南に離れたところに、高橋一族の大きな墓地がある。墓碑によれば、藤原南家流新里高橋家と称している。
【2023-6-15追記】
その後、冬場に再訪して、ご主人の許可を頂いて東・北の空堀を確認した。薮がひどいが大きな空堀が穿たれていた。空堀の北西端部には、横矢掛かりの屈曲があり、櫓台が築かれている。またこれらの空堀の更に東にも外郭があり、その北と東に浅い空堀が巡らされている。木々に埋もれかけた宝篋印塔も、ようやくのことで見つけることができた。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.625525/139.826217/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
藤本館は、高橋城とも言い、宇都宮氏の家臣高橋氏の居城である。伝承では、高橋氏は元々源頼朝の重臣で三河国を本拠としていたが、源氏滅亡に伴って三河を離れ、宇都宮氏9代貞綱に仕えたと言われる。その後、宇都宮氏13代持綱の時に帰農したと言う。
藤本館は、姿川支流の小河川の東の段丘上に築かれている。現在、城主のご子孫の宅地となっている。南に空堀が穿たれ、門前には解説板が設置されている。宅地の東から北にかけて、南東部に横矢のクランクを設けた空堀が穿たれているらしく、傾斜量図で見ると規模が大きそうだが、夏場は薮に覆われていてほとんど確認できない。また宅地内には1376年の北朝年号のある宝篋印塔があり、城の古さを示すものと言う。尚、藤本館から少し南に離れたところに、高橋一族の大きな墓地がある。墓碑によれば、藤原南家流新里高橋家と称している。
【2023-6-15追記】
その後、冬場に再訪して、ご主人の許可を頂いて東・北の空堀を確認した。薮がひどいが大きな空堀が穿たれていた。空堀の北西端部には、横矢掛かりの屈曲があり、櫓台が築かれている。またこれらの空堀の更に東にも外郭があり、その北と東に浅い空堀が巡らされている。木々に埋もれかけた宝篋印塔も、ようやくのことで見つけることができた。
北の空堀→
←宝篋印塔お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.625525/139.826217/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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