SSブログ

三玉城(宮城県栗原市) [古城めぐり(宮城)]

DSCN3029.JPG←二重堀切の現況
 三玉城は、この地の土豪石川氏の城であったと考えられている。江戸時代に編纂された『佐沼古戦場記』の巻末に「天正年中中奥筋古館主」として37名の城館名と館主が記載されているが、その中に「三玉 石川源右衛門」とあり、戦国末期に大崎氏の家臣石川氏が城主であったらしい。また、慶長年間(1596~1615年)に伏牛城(臥牛楯)主石川重久の子石川源右衛門重時が三玉城と称して居城し、1612年に没したとも伝えられる。

 三玉城は、二迫川とその支流の小河川に挟まれた東西に細長い丘陵上に築かれている。2005~6年に高圧鉄塔新設のため、発掘調査が城の西部で行われている。南麓に城址標柱があり、そこから主郭にある鉄塔への保守道が付いているので、訪城は容易である。畑の脇を登っていくと、虎口状の地形や腰曲輪を経由して、主郭背後の高圧鉄塔に至る。ここに二重堀切があるが、鉄塔建設で改変されているものの、堀切の名残は残っている。主郭は薮になっているが、東端に小堀切が穿たれ、その先に2郭があるが、ここも薮になっている。2郭の東は急に開けており、畑地となっている3郭がある。2郭との間は段差だけで区画され、3郭自体は畑化で改変を受けているので、往時の平場地形かどうかは不明とされる。3郭の南東端に高台となった4郭がある。櫓台として機能していたと考えられ、周囲に二重横堀がL字型に穿たれ、南西端で竪堀が落ちている。4郭の東の山林内に、小さな方形の塚があり、祠が3基祀られている。この他、丘陵南斜面の平場群は、腰曲輪であった可能性があるが、畑化されているので遺構かどうか不明である。遺構としては比較的ささやかな城である。
主郭~2郭間の堀切→DSCN3044.JPG
DSCN3073.JPG←4郭外周の横堀

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.790729/140.997784/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


宮城県の歴史散歩

宮城県の歴史散歩

  • 出版社/メーカー: 山川出版社
  • 発売日: 2007/07/01
  • メディア: 単行本


nice!(7)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 7

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント