黒田館(岩手県宮古市) [古城めぐり(岩手)]
←主郭内の段差
黒田館は、この地を領した河北閉伊氏(千徳氏)の支城と考えられている。河北閉伊氏は、室町時代に入ると笠間館から千徳城に本拠を移し、千徳氏を称して宗家田鎖氏(閉伊十郎左衛門尉光頼の系統)を凌ぐ大土豪に成長していった。海運の要地宮古の港の管理と守備のために黒田館を築いたと考えられており、千徳氏一族の黒田氏(近能氏)が管理していたと推測されている。
黒田館は、源義経の北行伝説にまつわる判官稲荷神社の裏山に築かれている。神社の裏に登道があるが、途中の社で止まってしまっているので、結局適当に薮の斜面を直登した。比高60m程の山頂に主郭を置き、周囲に腰曲輪を数段築いている。主郭は小さな段差で2段に分かれており、上段は小さな長方形で、その周りを囲むように下段平場が取り巻いている。下段平場にはキリスト教徒の墓があるが、郭内はあまり整備されておらず、薮に埋もれかかっている。主郭の南西尾根には舌状の二ノ郭・三ノ郭が連なり、また主郭の東西にも段曲輪群が築かれているが、いずれも薮に覆われていて踏査は困難である。特に南西尾根の二ノ郭・三ノ郭は劇薮で全く進入できない。主郭背後は尾根筋を切岸で遮断しているが、自然地形に近い鞍部で、明確な堀切とはなっていない。遺構としては以上で、港を監視する物見的な小城砦であった様である。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/39.643891/141.956084/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
黒田館は、この地を領した河北閉伊氏(千徳氏)の支城と考えられている。河北閉伊氏は、室町時代に入ると笠間館から千徳城に本拠を移し、千徳氏を称して宗家田鎖氏(閉伊十郎左衛門尉光頼の系統)を凌ぐ大土豪に成長していった。海運の要地宮古の港の管理と守備のために黒田館を築いたと考えられており、千徳氏一族の黒田氏(近能氏)が管理していたと推測されている。
黒田館は、源義経の北行伝説にまつわる判官稲荷神社の裏山に築かれている。神社の裏に登道があるが、途中の社で止まってしまっているので、結局適当に薮の斜面を直登した。比高60m程の山頂に主郭を置き、周囲に腰曲輪を数段築いている。主郭は小さな段差で2段に分かれており、上段は小さな長方形で、その周りを囲むように下段平場が取り巻いている。下段平場にはキリスト教徒の墓があるが、郭内はあまり整備されておらず、薮に埋もれかかっている。主郭の南西尾根には舌状の二ノ郭・三ノ郭が連なり、また主郭の東西にも段曲輪群が築かれているが、いずれも薮に覆われていて踏査は困難である。特に南西尾根の二ノ郭・三ノ郭は劇薮で全く進入できない。主郭背後は尾根筋を切岸で遮断しているが、自然地形に近い鞍部で、明確な堀切とはなっていない。遺構としては以上で、港を監視する物見的な小城砦であった様である。
主郭背後の切岸→
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/39.643891/141.956084/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:中世平山城
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