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陣山館(宮城県気仙沼市) [古城めぐり(宮城)]

DSCN0246.JPG←主郭の現況
 陣山館は、戦国末期の1588年に生起した「浜田の乱」の際に取り立てられた陣城と推測されている。1588年春、葛西氏の家臣で気仙郡の旗頭であった千葉(浜田)安房守広綱は、主家葛西氏に反逆して浜田の乱と呼ばれる戦乱を起こした。その経緯は米ヶ崎城の項に記載する。5月に行われた合戦での広綱の攻略目標は、赤岩城主気仙沼熊谷氏の支城であった長崎城であった。その際、浜田氏に加担してその先鋒となった忍館城主鹿折信濃時兼は気仙沼口に到り、熊谷方が布陣した笹ヶ嶺を望見して「敵は案外微勢である」とうそぶいたと伝えられる(『熊谷家記』)。ここにある気仙沼口が陣山とされ、浜田勢が一時期ここに陣を構えたと推測されている。

 陣山館は、気仙沼港の最奥にある比高50m程の丘陵先端の小山に築かれている。現在は復興祈念公園に変貌しており、その前段階として2019年度に発掘調査が行われた。その報告書では、「公園の整備は大規模な造成工事を避け、現在の自然地形を生かして令和2年度に完成する予定である。これは陣山館跡が、おおむね現状保存されることを意味する。」とあるが、確かに地勢は往時のままであるが、腰曲輪群や土塁・空堀は公園化でかなり改変されてしまっており、山頂に至るスロープの通路が開削されたり排水溝が敷設されたりと、ほとんどまともに遺構が残っていない。主郭に至っては復興モニュメントが建っていて、完全に整地されてしまっている。なんとか南斜面に腰曲輪らしい段があるのがわかる程度である。ただ元々陣山館は山頂の主郭を中心に小規模な腰曲輪群が築かれただけの小規模で簡素な城砦であり、公園化されていなかったとしてもわずかな遺構しかなかったのだろう。1000年に一度という未曾有の大震災から立ち直るためには、やむを得ないところか。
南斜面の腰曲輪群→DSCN0257.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.909577/141.578901/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:陣城
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tochi

明けましておめでとうございます
本年も宜しくお願い致します
城跡の話題楽しみにしています
by tochi (2023-01-01 06:43) 

アテンザ23Z

>tochiさん
いつもご愛読いただきありがとうございます。
こちらこそ、本年もよろしくお願いいたします。
by アテンザ23Z (2023-01-02 21:05) 

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