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武藤氏屋敷(静岡県森町) [古城めぐり(静岡)]

DSCN0560.JPG←宅地裏に残る土塁
 武藤氏屋敷は、一宮荘の代官職を務めた武藤氏の居館である。遠江武藤氏は、遠江国初代守護安田義定(甲斐源氏・源清光の子で武田信義の弟)に仕えた目代武藤五郎が史料上の初見である。武藤氏では、九州に下向して大宰少弐職を代々世襲して職名を姓とした少弐氏が有名であるが、南北朝の動乱が始まった1336年に太田郷一藤名が少弐氏に伝領されている。室町中期の文安年間(1444~49年)から明応年間(1492~1501年)にかけての時期の室町幕府奉公衆の中には、武藤遠江守や武藤弥次郎等の名が見える。これに先立つ1432年に、武藤与次郎用定が一宮荘代官職に任ぜられた。武藤刑部丞氏定は用定の末裔と考えられ、戦国期に駿河遠江を制圧した甲斐武田氏に属して真田城を築いたが、1581年の徳川家康による高天神城攻撃の際に討死した。その子孫武藤孫左衛門は掛川亀ノ甲村に土着したと言う。その後、武藤氏屋敷がどうなっていたのか不明であるが、江戸中期の1679~1722年には旗本土屋主税の陣屋敷として使用された。土屋主税は、赤穂浪士の吉良上野介邸討入りの際、吉良邸の隣に江戸屋敷があったので、忠臣蔵では討入りの場面でよく出てくる武士である。

 武藤氏屋敷は、香勝寺南の住宅地の中にある。太田川西岸の段丘上の斜面に位置している。遺構は湮滅が進んでいるが、北側の道路脇に東西に走る土塁が残っている。また敷地東側には段差があり、屋敷地としての地勢はうかがうことができる。尚、香勝寺には武藤氏一族の墓が残っているが、香勝寺はききょう寺として有名で、墓所に行くには入園料を支払う必要がある。
武藤氏一族の墓→DSCN0552.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/34.825703/137.913684/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:居館
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