設楽氏陣屋(埼玉県加須市) [古城めぐり(埼玉)]
←標柱が立つ陣屋跡伝承地
設楽氏陣屋は、礼羽陣屋とも言い、徳川家康の家臣設楽氏が礼羽に築いた陣屋である。設楽氏は2代貞通の時に三河国設楽郡の川路城主となり家康に仕えた。1590年の小田原の役の後、徳川氏が関東に移封となると、設楽氏3代甚三郎貞清も関東に移り、武蔵国太田庄羽生領の内、加須・礼羽・馬内・戸崎の4ヶ村1500石を拝領し、礼羽に陣屋を構えた。後に陣屋は加須に移され、明治の初めまで蔵屋敷として残っていたと言う。
設楽氏陣屋は、礼羽氏館跡のすぐ東にあったらしい。遺構はなく、現在は畑の隅に標柱が立っているだけである。標柱には、「伝承 陣屋跡」とあるので、正確な場所もわかっていないようである。尚、3代貞清が開基した香積寺に、設楽家累代の墓があり、市の史跡となっている。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.127052/139.583970/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
設楽氏陣屋は、礼羽陣屋とも言い、徳川家康の家臣設楽氏が礼羽に築いた陣屋である。設楽氏は2代貞通の時に三河国設楽郡の川路城主となり家康に仕えた。1590年の小田原の役の後、徳川氏が関東に移封となると、設楽氏3代甚三郎貞清も関東に移り、武蔵国太田庄羽生領の内、加須・礼羽・馬内・戸崎の4ヶ村1500石を拝領し、礼羽に陣屋を構えた。後に陣屋は加須に移され、明治の初めまで蔵屋敷として残っていたと言う。
設楽氏陣屋は、礼羽氏館跡のすぐ東にあったらしい。遺構はなく、現在は畑の隅に標柱が立っているだけである。標柱には、「伝承 陣屋跡」とあるので、正確な場所もわかっていないようである。尚、3代貞清が開基した香積寺に、設楽家累代の墓があり、市の史跡となっている。
設楽家累代の墓→
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.127052/139.583970/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:陣屋
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