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箕田館(埼玉県鴻巣市) [古城めぐり(埼玉)]

DSCN0660.JPG←館跡付近に立つ石碑
 箕田(みだ)館は、平安時代に箕田源氏、源仕(みなもとのつこう)・宛(あたる)・渡辺綱(つな)3代の居館であったと伝えられる。箕田源氏は嵯峨源氏の一流で、嵯峨天皇の第8皇子源融(とおる)の孫・仕が、長じて後に武蔵国箕田郷に居を構えたことに始まる。周辺の土地を開墾し、家の子・郎党を養い、次第に力を蓄えた。知勇兼備の武将として武蔵介源経基に仕え、承平天慶の乱では平将門討伐や藤原純友討伐に軍功を挙げ、従五位上武蔵守となった。その子・宛は弓馬の道に優れ、父・仕に従って西国で藤原純友討伐に軍功を挙げたが、953年に21歳で没した。宛の長子・綱は953年に箕田に生まれ、幼くして両親を失い、従母である多田満仲の娘に引き取られ、摂津国渡辺庄で育ち、渡辺姓を名乗った。幼少より勇名を馳せ、長じてからは源頼光に仕え、頼光四天王の第一と称せられた剛勇の武将であった。

 箕田館は、箕田氷川八幡神社の北、満願寺の南にあったとされる。しかし館跡付近は現在一面の住宅地に変貌しており、遺構は一切残っていない。1000年以上前の開発領主の館であるから、遺構が残っていなくても仕方のないところだろう。県の旧跡に指定されているが、標柱や解説板は現地にはない。市のHPに載っている館跡の小さい石碑は館を示すものではなく、山上・荒神と刻まれた地域信仰のもので、住宅地の中に完全に埋没している。ただ館跡付近には箕田古墳群があり、その2号墳は三士塚とも呼ばれ、源仕とその妻子の墓との伝承もあるが、築造年代が合わず伝承は否定されている。尚、宝持寺や箕田氷川八幡神社は箕田源氏所縁の地で、その解説板や由緒書に箕田源氏3代の記載があり、箕田碑が残っている。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.080555/139.480373/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:居館
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