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上ノ平城(長野県箕輪町) [古城めぐり(長野)]

DSCN2211.JPG←主郭後部の堀跡
 上ノ平城は、後に下伊那の神之峰城を本拠とした豪族知久氏の、最初の居城とされている。伝承では、元々の創築は平安後期に清和源氏の祖源経基の5男満快(みつよし)の4代の孫・源為公(ためとも)によるとされる。鎌倉時代には、諏訪氏の分流である知久氏の居城となったが、鎌倉中期の正嘉年間(1257~59年)に知久氏が下伊那郡の知久平城に本拠を移すと、上ノ平城は廃されて、使われなくなったとされていた。しかし平成10~12年に行われた発掘調査の結果、戦国時代にも使用されたらしいことが判明し、それは武田信玄の上伊那郡侵攻の前後であったと考えられている。どの勢力に属した城だったのかは判明していない。

 上ノ平城は、比高30m程の舌状台地に築かれている。現在県の史跡となっているので、主郭が公園となっている他、各所の堀に表示板が設置されるなど整備されているので、夏でも訪城しやすい。西端から順に笹曲輪・二ノ郭・主郭・三ノ郭・四ノ郭を直線的に並べた連郭式の城で、それぞれの曲輪は空堀で区画されている。しかし二ノ郭・三ノ郭・四ノ郭は畑や空き地に変貌しているため、5本ある堀切の内、原型を留めているのは笹曲輪後部の堀切だけで、三ノ郭・四ノ郭後部の堀切はほぼ形状が失われ、二ノ郭後部の堀切はわずかに堀形が認められる程度である。主郭後部の堀切は北半分は残るが、南半分は埋まっている。こんな状況ではあるが縄張りの全体像は追うことができる。主郭は城の中央部に位置する方形の曲輪で、南北に腰曲輪を伴っている。主郭後部の堀切から三ノ郭・四ノ郭を東西に貫通して四ノ郭東端まで至るコの字型の空堀が見られ、この空堀によって三ノ郭・四ノ郭は南北に分断されている。二ノ郭までは公園や畑の風景が広がっているが、二ノ郭先端の杉林の中に入り込むと、突然中世城郭の世界が目の前に広がる。そこには笹曲輪との間を分断する堀切があり、その前面に物見台状の笹曲輪があり、頂部に祠が祀られている。笹曲輪から西斜面には平場の横に土塁が走っている。以上が上ノ平城の遺構で、残存状態はやや悪い部類に入るが、全体に遺構の確認はしやすく、往時の雰囲気は感じられる。また伊那谷を望む素晴らしい眺望が開けており、ここに城を築いた意味もよく分かる。
笹曲輪後部の堀切→DSCN2261.JPG
DSCN2204.JPG←三ノ郭を貫通する空堀

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.931464/138.001328/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:中世平山城
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