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溝口下ノ城(長野県伊那市) [古城めぐり(長野)]

DSCN3827.JPG←東の堀跡
 溝口下ノ城は、小笠原氏の庶流溝口氏の居城である。応永年間(1394~1428年)に小笠原信濃守政長の3男溝口右馬助氏長がこの地に分封されてこの城を築き、居城とした。以後、溝口氏歴代の居城となった。溝口氏は代々本家の小笠原氏に忠勤を尽くし、戦国中期の当主美作守氏友は、信濃守護小笠原長時の弟で伊那郡鈴岡城主であった小笠原信定に仕えた。長時は、信濃に侵攻した武田信玄に敗れ、没落して同族の三好長慶を頼って京都に逃れた。この時、氏友・長勝父子も長時に従い、長慶の弟三好義賢の居城河内高屋城に寄寓したと言う。長友の子貞泰は、1582年の織田信長滅亡後に信濃旧領の回復を目指す小笠原貞慶(長時の子)の重臣として深志城回復などに活躍した。

 溝口下ノ城は、ダム湖である美和湖東岸の段丘上に築かれている。美和ダム建設前は、三峰川の氾濫原に面した段丘先端部に当たっていた。ここには中央構造線が貫通しており、南の崖下にその断層の露頭があるため、主郭は中央構造線公園として公園化されている。主郭の周囲は断崖で囲まれており、台地続きの北側に穿たれた幅広の堀がわずかな低地となって残っている。この堀は、主郭東側を掘り切って崖下まで伸びているが、これは自然地形を利用したものだろう。主郭内には改変のせいもあるのか、土塁等は見られずただの平場が広がっている。溝口上ノ城以上に遺構の残りが悪く、残念な状況である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.791788/138.082191/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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