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坪野城(富山県魚津市) [古城めぐり(富山)]

DSCN5308.JPG←堀切から落ちる竪堀
 坪野城は、松倉城を取り囲む支城群の一つと推測される城である。城主は松倉城主椎名氏の家老、あるいは家臣であったとも、上杉氏の家臣が在城したとも言われる。また上杉謙信が松倉城攻めの際に本陣を置いたという伝承もあるようだ。

 坪野城は、松倉城の北東3kmの位置にある、標高460mの小山に築かれている。城の東中腹に鉄塔があり、北東麓から鉄塔保守道が整備されているので、これを利用すれば城に登ることができる。登り口は北東にある大菅沼集落の奥、溜池沿いの車道の脇にある。ここから柳河原線72番鉄塔を目指せばよい。この鉄塔は、百間馬場と呼ばれる平場にあり、謙信の本陣であったとか馬揃えをしたとの伝承がある。鉄塔の奥にあたる南に小道が伸びており、この道から城に登れるが、この道は藪に埋もれつつあり、数年後には消失している可能性がある。というのも、以前は主郭にも鉄塔があったのだが、現在は鉄塔が撤去されてしまっているのである。従って今は主郭も未整備となってしまい、藪に覆われてしまっている。前述の小道を進むと、湧水がある谷地形に至り、その右手に竪堀が落ちてきている。これが南の堀切から落ちている竪堀で、登城路を兼ねていたことが想定される。この竪堀道を登っていけば本城域に入る。山の頂部に主郭を置き、東西に腰曲輪を配置している。主郭の北側には土塁が築かれているようだが、藪がひどくて形状がよくわからない。主郭の北端近くの土塁上には小さな城址石碑があるが、藪に埋もれてしまっている。また主郭の南西北の三方に堀切を穿っている。南の堀切は小郭を挟んで2本穿たれ、北のものは細尾根にやや離れて2本穿たれている。南の1本目の堀切は、東側が東腰曲輪に通じており、同様に西の堀切も西腰曲輪に繋がっている。北尾根は、2本の堀切の先に鞍部があり、虎口とされている。その東側には横堀が伸びている。辛うじて縄張図を元にして踏査できたが、全体に藪がひどくて踏査が大変である。主郭の鉄塔がなくなった今、このまま藪に埋もれる運命なのであろうか。
主郭の現況→DSCN5322.JPG
DSCN5328.JPG←西の堀切
城址碑→DSCN5338.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.772399/137.462279/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


図説 上杉謙信

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タグ:中世山城
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