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古国府城(富山県高岡市) [古城めぐり(富山)]

DSCN5864.JPG←境内西側の空堀・土塁
 古国府城は、射水・婦負2郡の守護代であった神保氏が築いた城と伝えられる。元々この付近には越中国府があった。神保氏は初め放生津城を居城としたが、1519年に越後守護代長尾為景(上杉謙信の父)が越中に侵攻すると、神保慶宗は要害性の高い二上城に立て籠もって抗戦した。この時に二上城の出城として古国府城が機能したと考えられる。戦国後期には神保氏の庶流神保安芸守氏張は、守山城を居城とし、古国府城を出城とした。織田信長の部将佐々成政が越中に進出すると、氏張は成政の麾下に属して越中平定に活躍した。織田信長横死後の1584年、信長の後継者としての地歩を固めていた羽柴秀吉に対抗した成政は、隣国加賀・能登を支配した秀吉方の前田利家と交戦したが、その状況の中で越中一向宗衆を味方につけるため、坊舎を失っていた勝興寺の還住を許し、これを受けた氏張は古国府城を含む旧国府跡一帯を勝興寺に寄進した。これにより古国府城は廃城となったが、勝興寺時代にも戦国期城郭そのものの構造は改変を受けつつ維持されたらしい。

 古国府城は、前述の通り勝興寺の境内となっている。境内周囲には土塁・空堀が残る他、唐門の前には水堀があり、その傍には城の望楼を思わせる鼓楼が建っていて、城跡らしさを感じさせる。西側の土塁・空堀には横矢のクランクが設けられている。草木が茂っているので確認しづらい部分もあるが、西側外周には「椿の道」という林の中の散策路があり、そこを歩くと傍らには空堀と土塁をよく見ることができる。また城の遺構もさることながら、勝興寺の伽藍も凄い。昨年、新たに国宝に指定された本堂等の他にも重要文化財の建物が多数あり、寺巡りとしても十分楽しめる。いろいろな楽しみ方が出来る城である。
水堀と望楼風の鼓楼→DSCN5732.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.792610/137.052931/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


越中中世城郭図面集〈3〉西部(氷見市・高岡市・小矢部市・礪波市・南礪市)・補遺編

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  • 発売日: 2023/03/13
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