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豊後楯(宮城県栗原市) [古城めぐり(宮城)]

DSCN7091.JPG←主郭後部の大土塁
 豊後楯(豊後館)は、袋豊後守泰時と言う武士の居城である。現地標柱の解説文によれば、泰時は享禄年間(1528~32年)に玉造郡真山村からこの地に移封され、1561年に没したと言う。泰時についてそれ以外の情報はないが、勢力圏から考えると大崎氏の家臣であったのだろう。

 豊後楯は、二迫川南岸の丘陵の北尾根の崖上に築かれている。ほぼ単郭の城で、長方形の平場の北西部が細長く北に向かって突き出た、L字型をした主郭がある。主郭の後部には幅広の大土塁が築かれ、その背後には堀切が穿たれている。大土塁は、その幅の広さから考えて何らかの建物が建っていた可能性がある。この大土塁から主郭西辺に低土塁が伸びていて、全体としてL字型の土塁を形成している。また主郭内の、大土塁の際には井戸跡らしい大穴が開いている。主郭の北は断崖上の細尾根となっているが、ここに舌状曲輪が築かれ、また東には帯曲輪が1段築かれている。この城の北側は絶壁で、大手道は南から丘陵を越えて通じていたらしく、現在でも丘陵上の鉄塔に至る道が残っている様である。私は南の小道の存在がわからなかったので、北西から急な支尾根を無理やり登攀して訪城したが、今後訪城する方は南から通じる鉄塔保守道を見つけて、それを使った方が良いだろう。この道を辿れば、主郭背後の大堀切に至るはずである。以上が豊後楯の遺構で、小規模な城砦であるが大土塁などしっかりした遺構が残っており、見応えがある。
主郭背後の堀切→DSCN7088.JPG
DSCN7055.JPG←井戸跡らしき大穴

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.799024/140.962057/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。


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タグ:中世山城
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