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上の城(長野県下諏訪町) [古城めぐり(長野)]

DSCN3220.JPG←北側の横堀・帯曲輪
 上の城は、伝承では甲斐の武田信玄24将の一人、横田備中守の居城と言われるが、事実かどうか疑問である。1518年に上社・下社の抗争があり、下社の金刺昌春の「萩倉の要害」が自落したとの記事があるが、この萩倉の要害が上の城のことであるとの説が近年有力になっている。萩倉要害の自落の結果、金刺氏は没落し、昌春は武田氏を頼って甲府に逃れた。それ以後の上の城にまつわる歴史ははっきりしない。尚、この城の南方下方の尾根には下の城があり、両城が一体となって機能していたことが推測され、下の城に対する詰城となっていた可能性がある。

 上の城は、標高1060mの山上に築かれている。下の城から上の城まで登道があるので、迷うことなく行くことができる。上の城は、曲輪は大きいがほぼ単郭の城で、下の城とは全く築城思想が異なっている。主郭の外周に二重(一部は帯曲輪状)に土塁・横堀を廻らした形態で、まるで古代のチャシの様である。横堀は浅く、あまり強く防御性を意識したようには感じられない。これらの横堀は、北東の尾根筋も穿つ堀切を兼ねている。この堀切部分では、主郭が尾根側にやや突出し、そこに横から主郭内に進入するような感じになっていて、形状があまりはっきりしないが枡形虎口を形成していたようにも感じられる。主郭内は平坦な地山のままで、外周が一段低く帯曲輪状になっている。この他、南東斜面には水の手と思われる腰曲輪が2段あり、南尾根には竪堀らしい地形がある。以上が上の城の遺構で、技巧性のない古い形態の縄張りで、戦国後期まで使われた城とは考えにくい様に感じられた。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.096768/138.078468/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:中世山城
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