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上手向城(岐阜県恵那市) [古城めぐり(岐阜)]

DSCN4001.JPG←二ノ郭の上にある主郭
 上手向(かみとうげ)城は、岩村城主遠山氏の家臣勝氏の居城である。1564年には、遠山左衛門尉景任の家臣勝内蔵助義重が城主であった。江戸時代初頭の中山道大井宿の有力者勝義実は、元は「峠城主」で木曽義昌・松平忠吉に仕え、辞して大井宿に住したと伝えられる。

 上手向城は、山岡農村環境改善センターの北東にある宅地背後の丘陵上に築かれている。2つの城域に分かれており、主城となる城ヶ峯と、出城となる隠居峯とがある。最初登り口が分からず西の山から登城したが、城ヶ峯南の宅地の奥に登道と解説板が立っているのが後でわかった。こちらから登るのが正しいルートである。
 城ヶ峯は、主郭・二ノ郭・三ノ郭と3段の平場が階段状に築かれている。最大の曲輪は三ノ郭で、その外周には帯曲輪が築かれている。主郭・二ノ郭は小さく、特に主郭は物見台に毛が生えた程度の広さしかない台形の高台である。二ノ郭は主郭の周りを腰曲輪状に全周している。主郭の北西尾根には四ノ郭が築かれ、曲輪頂部は傾斜し、周りに腰曲輪が付随している。城ヶ峯には堀切がなく、切岸・段差だけで区画されている。特に四ノ郭の形態は、私が見つけた石平新城と似ており、築城主体が同じであった可能性を示している。
 隠居峰は、城ヶ峯よりも面積が広く、居住性のある作りとなっているが、郭内は未整備で薮が多く、遺構の確認がし辛い。2段の平場に分かれており、北東の尾根上の曲輪は一段高くなっており、後部に土塁が築かれ、堀切で北東尾根の基部を遮断している。またこの上段曲輪の南東下方には横堀が構築されている。この横堀は途中で屈曲し、南端部も屈曲しながら降っている。下には帯曲輪があり、横堀道に通じる枡形虎口が構築されていた様である。
 以上が上手向城の遺構で、高台にある居館地の背後を防御する簡素な城砦であった様である。
三ノ郭→DSCN4006.JPG
DSCN4052.JPG←隠居峯の横堀

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:【城ヶ峯】https://maps.gsi.go.jp/#16/35.354835/137.384505/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
【隠居峯】
https://maps.gsi.go.jp/#16/35.354135/137.386179/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:中世平山城
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