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下手向城(岐阜県恵那市) [古城めぐり(岐阜)]

DSCN4202.JPG←主郭西側の横堀
 下手向(しもとうげ)城は、串原遠山氏の御内衆・渡辺権七郎の居城と伝えられる。山岡町史では、椋実城の出城として1399年頃に築かれたと推測している。しかし現在残る遺構から考えて、武田・織田両勢力が激突した元亀天正の争乱の中で構えられた陣城の可能性が高いとされる。

 下手向城は、上手向城の西方約1.6kmに位置し、比高60m程の丘陵末端にある。南麓集落の最上段にある民家の右手に登道があり、普通ならわかりにくい登り口だが、昨秋恵那で山城サミットが開催された関係でたくさんの幟が立っているので、今なら全く迷うことなく行くことができる。小道を登っていくと、最初に井戸跡らしい窪みのある腰曲輪に至る。そこから登道は左手に折れ、大手の虎口郭に至る。この上に主郭の大手虎口が開かれ、虎口郭の西端は竪土塁で遮断している。虎口郭の下には腰曲輪があり、更にその下方に堀切がある。主郭は大きく平坦であるが、内部に段差がある。また主郭の北東部にL字型の土塁が築かれている。主郭の東側以外の三方には、延々と横堀が穿たれている。しかし横堀は比較的小さく、薮払いもされていない部分が多いので、少々見劣りする。しかし西の横堀の中間付近に築かれた竪堀・竪土塁は比較的大きい。また横堀と繋がって穿たれた北の堀切も比較的大きい。主郭南西角には小さな枡形虎口と虎口郭があり、横堀に通じる搦手虎口となっている。この他、主郭の東下方の支尾根先端には、下方を分断する円弧状横堀が穿たれている。また前述の横堀の南端には、大手虎口郭下の腰曲輪との間に二重竪堀もある。以上が下手向城の遺構で、ほとんど単郭の城であるが整った防御構造を有しており、築城思想は上手向城とは全く異なっている。元亀天正の争乱時の陣城という見解も首肯できる。
主郭北の堀切→DSCN4142.JPG
DSCN4147.JPG←東の円弧状横堀

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.352857/137.367296/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:中世平山城
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