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葉山楯(岩手県一関市) [古城めぐり(岩手)]

DSCN5740.JPG←外周の横堀
 葉山楯(葉山館)は、波山館とも記載され、小野寺肥後守の居城であったと伝えられる。楯主の小野寺氏は、1475年にこの城に入り、以後約80年間居住したと言う。小野寺肥後は、天正年間(1573~92年)の岩ヶ崎城主富沢日向守直綱の騒動や米ヶ崎城主浜田安房守広綱が反逆した浜田兵乱の際に、葛西勢として参陣している。

 葉山楯は、標高83mの独立丘陵に築かれている。明確な登道はなく、北麓の牛舎の脇から斜面を直登した。山頂の主郭と、それを取り巻く横堀から成る簡素な構造の城である。横堀は全周しておらず、北から西面にかけて、主郭の約半分を囲んでいるだけである。郭内は傾斜した地山となっており、郭内の平場の段差は不明瞭で、南東側だけ段差が比較的明瞭となっている。横堀の西側中央部に土橋があったらしいが、横堀以外の遺構があまりに見劣りする感じで、途中で戦意喪失してしまい、見逃した。遺構の感じからすると、恒久的な城館と言うより、一時的な陣城とだったのではないだろうか?

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.831927/141.240031/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。


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