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日岐大城(長野県生坂村) [古城めぐり(長野)]

DSCN6880.JPG←主郭
 日岐大城は、日岐城主日岐氏(日岐丸山氏)の支城である。1582年の天正壬午の乱の際、深志城を回復した小笠原貞慶は、筑摩・安曇郡の旧領回復を目指して軍事行動を開始し、8月初旬、日岐氏の拠る日岐城を攻撃した。激しい攻防の末、9月上旬に日岐城は攻略されたが、日岐盛直・耳塚作左衛門尉は日岐大城に立て籠もって抵抗を続けた。翌83年8月、貞慶は、籠城衆を調略してようやく日岐大城を攻略した。日岐盛直・盛武兄弟、耳塚作左衛門尉、穂高盛棟らは一族を引き連れて城を脱出し、上杉氏のもとに逃れたと言う。

 日岐大城は、峻険な京ヶ倉の北の峰にある。京ヶ倉・大城トレッキングコースが整備されており、迷うことなく登ることができるが、道程は長く、岩場の道もあるので、城歩きというより完全なトレッキングである。小屋城の東にある京ヶ倉登山口から登って京ヶ倉までジャスト1時間、更に15分でようやく大城に到達する。京ヶ倉までの稜線はアップダウンが激しく、ロープに捕まらないと登り降りできない。また途中には馬の背道という岩場もあり、訪城当日は穏やかな天候で風もなく絶景が楽しめたが、強風時は恐怖だろう。最高峰の京ヶ倉は頂部が平坦な平場になっており、往時の物見台、兼狼煙台である。京ヶ倉物見から大城までの尾根には堀切はなく、自然地形の稜線だけである。大城は、東が高台となった三角形の主郭を頂部に置き、南の尾根に舌状の腰曲輪、北の尾根に二ノ郭、三ノ郭を配置している。いずれも平坦ではあるが、普請はささやかなものである。また主郭の北側下方の谷地には、腰曲輪群が築かれている。城から北にやや離れて物見岩があり、往時に番兵が見張りをしていた場所と伝わる。主郭から物見岩までは10分程掛かる。この途中にも小ピークの小郭が見られる。最低限の普請しかしていない小城砦で、稜線が急峻なので堀切がないのも道理である。1年もの間籠城戦ができたのも、ひとえにその峻険な地形によるものと言える。片道1時間半、往復約3時間の行程であったが、シジュウカラなどの小鳥を見ながらの、楽しい春の登山となった。遺構は小規模なので、城には期待しない方が良い。
谷地の腰曲輪→DSCN6888.JPG
DSCN6943.JPG←京ヶ倉物見

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.436346/137.952061/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


信濃の山城と館 第4巻(松本・塩尻・筑摩編)―縄張図・断面図・鳥瞰図で見る

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  • 作者: 宮坂 武男
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2013/04/01
  • メディア: 単行本


タグ:中世山城
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