新宮山城(富山県立山町) [古城めぐり(富山)]
←参道側方の竪堀状の堀底道
新宮山城は、1579年に長連龍が岩倉薩摩が籠城する岩倉城を攻め落としているが、この岩倉城のことと推測されている。
新宮山城は、岩峅寺駅南東にある比高わずか35m程の丘陵先端部に築かれている。主郭には熊野神社が建っているので、参道が整備されており、何の苦もなく登ることができる。そんな城なので、全く期待せずに登っていたら、参道横に突然L字型の堀底道(竪堀)が現れた。完全に油断してたので、立派な遺構にびっくりした。この脇には2段の腰曲輪が築かれている。堀底道の横を抜けて登ると、上の腰曲輪には両側に土塁が築かれた虎口が開かれ、段を経由して登城路は屈曲していくので、枡形虎口を形成していたと考えられる。その上には主郭の切岸が立ちはだかっており、この部分の虎口構造は技巧的で、織豊系山城の先駆け的な様相を呈している。主郭には神社が建っているが、脇に土塁が残り、東に高台が張り出している。南斜面には小堀切と土壇が築かれている。以上が新宮山城の遺構で、小さい城であるが前面の虎口構造が特徴であり、織田武将である長連龍による攻略後の使用・改修が推測されるという佐伯哲也氏の説は首肯できる。
お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.605081/137.326645/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
新宮山城は、1579年に長連龍が岩倉薩摩が籠城する岩倉城を攻め落としているが、この岩倉城のことと推測されている。
新宮山城は、岩峅寺駅南東にある比高わずか35m程の丘陵先端部に築かれている。主郭には熊野神社が建っているので、参道が整備されており、何の苦もなく登ることができる。そんな城なので、全く期待せずに登っていたら、参道横に突然L字型の堀底道(竪堀)が現れた。完全に油断してたので、立派な遺構にびっくりした。この脇には2段の腰曲輪が築かれている。堀底道の横を抜けて登ると、上の腰曲輪には両側に土塁が築かれた虎口が開かれ、段を経由して登城路は屈曲していくので、枡形虎口を形成していたと考えられる。その上には主郭の切岸が立ちはだかっており、この部分の虎口構造は技巧的で、織豊系山城の先駆け的な様相を呈している。主郭には神社が建っているが、脇に土塁が残り、東に高台が張り出している。南斜面には小堀切と土壇が築かれている。以上が新宮山城の遺構で、小さい城であるが前面の虎口構造が特徴であり、織田武将である長連龍による攻略後の使用・改修が推測されるという佐伯哲也氏の説は首肯できる。
虎口→
お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.605081/137.326645/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:中世平山城
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