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二ッ城(富山県高岡市) [古城めぐり(富山)]

DSCN8737.JPG←主郭~二ノ郭間の堀切
 二ッ城は、標高264.1mの三千坊山に築かれている。三千坊山には、中世には能登石動山天平寺と関係のあった天台宗寺院があったと伝えられ、山伏修験の場であったらしい。南北朝時代には遠江国井伊谷を逐われた後醍醐天皇の皇子宗良親王が、1342年に名子の裏(放生津)に滞在しており、二ッ城にあった天台寺院と関係があったと言われる。それもそのはず、宗良親王は元弘の乱当時は天台座主を務めていたので、天台寺院とは深い繋がりがあったのだろう。しかし北朝方の攻撃により、この三千坊の寺院堂舎は焼亡したらしい。また戦国時代にも越後上杉氏の軍勢による戦火で焼失したと推測されている。これらのことから推測すると、二ッ城は南北朝時代によく見られる、寺院を城砦化した寺院城郭、もしくは寺院勢力が築いた詰城であったと考えられる。

 二ッ城は、前述の通り三千坊山にあり、ハイキングコースが整備されているので簡単に登ることができる。ルートはいくつかあるようだが、南中腹から登るルートが一番わかり易い。南から登ると最初に到達するのが主郭の南虎口で、浅い横堀が穿たれた円弧状の虎口郭があり、横掘の西端に竪堀が落ちている。虎口郭の上には主郭がある。主郭は円形の曲輪で展望台が建っており、高岡城などがよく見える。主郭の西には堀切を挟みながら、二ノ郭・三ノ郭が並んでいる。主郭と二ノ郭との間の堀切の北東には主郭腰曲輪がある。縄張図では二重竪堀があるとされるが、薮でわかりにくい。二ノ郭は小さな方形の曲輪で、三ノ郭との間の堀切は浅い。三ノ郭は堀切に沿って土塁が築かれ、西側には腰曲輪が築かれている。腰曲輪には3本の竪堀が間隔を開けて落ちているようだが、これも薮でわかりにくい。この他、主郭の東側にも横掘があり、前述の虎口郭脇から堀が繋がっているようだが、薮が多くてよくわからない。以上が二ッ城の遺構で、遺構はよく残っているが小さな城砦であり、主要部以外は未整備の薮に覆われていてわかりにくいのが残念である。
主郭南の虎口郭→DSCN8724.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.773998/136.933798/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:中世山城
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