SSブログ

浅井城(富山県高岡市) [古城めぐり(富山)]

DSCN8785.JPG←幅広の堀切
 浅井城は、この地の国人領主中山氏の居城である。中山氏は、室町~戦国前期にかけて浅井城を本城としていたが、戦国後期になると赤丸城に居城を移したと推測されている。後に佐々成政が越中に入ると、中山国松は成政に服属したが、1585年8月に成政が豊臣秀吉の討伐を受けて降伏し、越中を離れると、中山氏も城を退転したと考えられている。尚、別説では、勝興寺の坊官下間氏が増山城の神保長職との戦いを指揮する為に浅井城に一時的に拠ったとも言われる。

 浅井城は、清水山から南東に向かって張り出した比高40m程の尾根先端部に築かれている。城へは、浅井神社の奥に伸びる車道を500m程進み、南に入る林道を5分以上歩くと、ようやく城の解説板が現れる。しかし城はそこから更に150m程奥にある。結構遠回りになるので、遺構を手っ取り早く見たい方は城の周囲の急斜面を強行突破した方が早いかもしれない。尾根の基部には幅広の堀切が穿たれ、その先が城域で、後部に方形の主郭がある。主郭は2段の平場で構成されている。主郭の南東には菱形をした広い二ノ郭が広がっている。二ノ郭外周には腰曲輪が築かれている他、二ノ郭内部もいくつかの段差で区画されているようだが、草木が繁茂していて形状がわかりにくい。以上が遺構の全容で、解説板にある通り「全体として縄張りが単純」であり、政庁機能を主とした館城だったと思われる。
主郭→DSCN8792.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.740956/136.932939/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


越中中世城郭図面集〈3〉西部(氷見市・高岡市・小矢部市・礪波市・南礪市)・補遺編

越中中世城郭図面集〈3〉西部(氷見市・高岡市・小矢部市・礪波市・南礪市)・補遺編

  • 作者: 佐伯 哲也
  • 出版社/メーカー: 桂書房
  • 発売日: 2013/12/01
  • メディア: 大型本


タグ:中世平山城
nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 4

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント