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赤丸城(富山県高岡市) [古城めぐり(富山)]

DSCN8956.JPG←二ノ郭西側の畝状竪堀
 赤丸城は、この地の国人領主中山氏の居城と推測されている。中山氏は、室町~戦国前期にかけて浅井城を本城としていたが、戦国後期になると赤丸城に居城を移したと推測されている。佐々成政が越中を平定する過程でその配下に入った様である。天正年間(1573~92年)の城主として中山国松の名が伝わっている。1584年に成政が前田利家の支城末森城を大挙攻撃した際(末森合戦)には、中山氏も参陣している。1585年8月に成政が豊臣秀吉の討伐を受けて降伏し、越中を離れると、中山氏もこの地を離れ、越前敦賀に移り住んだとされる。尚、『日本城郭大系』では浅井城のことを赤丸城として記載している。

 赤丸城は、標高172mの城ヶ平山に築かれている。ハイキングコースが整備されており、迷うことなく登ることができる。登道は、東麓からと北東尾根筋の2ルートが有り、往時の大手に当たる北東尾根から登る方が遺構がよく分かる。登り口は八幡宮の裏手にある。北東尾根を登っていくと途中に鉄塔があり、それを越えて登っていくと、3本の堀切と段曲輪があり、その先に山頂の主郭がある。主郭は東側が一段低く腰曲輪状になっている。南東尾根にも4本の堀切が穿たれており、間には小郭も見られるが、ほとんどは自然地形の尾根となっている。主郭の西側には二ノ郭があり、殿様池と呼ばれる井戸跡が残っている。二ノ郭の周囲には腰曲輪群が築かれており、南の腰曲輪群は下方に土橋で後部土塁と連結した馬蹄形曲輪がある。また二ノ郭から伸びる南西と北西の尾根の先にも堀切があり、南西ではその先に出曲輪が築かれている。二ノ郭の西斜面には、明確な畝状竪堀が穿たれている。畝状竪堀は、主郭の東斜面にも穿たれているとされるが、草木に埋もれているせいもあってほとんどわからなかった。以上が赤丸城の遺構で、高岡市内の山城の中ではかなり技巧的な縄張りの城である。
南東尾根の3本目の堀切→DSCN8895.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.737225/136.921577/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:中世山城
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