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下瀬城(富山県富山市) [古城めぐり(富山)]

DSCN9499.JPG←大堀切
 下瀬城は、射水・婦負郡守護代神保氏の重要拠点富崎城の出城である。『三州志』によれば、天正年間(1573~92年)に越後の上杉謙信が越中に侵攻した際、神保麾下の部将が築いたと言われる。また富崎城との間には山上を通る連絡路もあったと伝えられる。山田川沿いに展開する鶴ヶ城・富崎城・下瀬城・高山城大道城は、いずれも神保氏とその部将が居城したことで知られており、神保氏がこの流域に大きな支配力を持っていたことを物語っている。

 下瀬城は、山田川東岸に連なる丘陵から北西に突き出た尾根上に築かれている。登道はないので、適当に尾根に取り付いて登るしか方法はない。しかも城のある尾根の北西部は建設会社の敷地となって削られているので、削り残されている部分を登攀する他ない。幸い、城のある尾根の西にある谷に入っていく道があるので、そこから谷に入り、適当なところから左手の削り残された尾根に取り付いて登った。この尾根の最上部は垂直絶壁となっているが、右側に迂回する獣道があり、それを辿ると二ノ郭の虎口に至る。二ノ郭は、L字型をした曲輪で、北側の部分が広くなっている。L字の折れの西側に大手虎口があるが、広い谷状の地形になっていて、ここに3つの小段がある。枡形虎口の一種のようである。二ノ郭の背後には堀切が穿たれ、その上に主郭がそびえている。主郭は長方形をした縦長の曲輪で、背後には深さ7m程の大堀切が穿たれている。大堀切の後ろには物見の小郭があり、その後部にも小堀切が穿たれて城域が終わっている。この他主郭の西側には腰曲輪があり、大堀切から武者走りが繋がっている。下瀬城は連郭式の小規模な城であるが、堀切は鋭く、大手虎口にも工夫があり、繋ぎの城として重視されていたことがうかがわれる。
二ノ郭大手虎口の段→DSCN9476.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.634720/137.106929/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


地図でめぐる日本の城

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