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中原御殿(神奈川県平塚市) [古城めぐり(神奈川)]

DSCN1864.JPG←石碑と解説板
 中原御殿は、雲雀野御殿とも呼ばれ、徳川家康が関東各地に造営した御殿の一つである。家康は、鷹狩りや江戸と駿府往来の途次にここに宿泊した。御殿が造られたのは1596年と言われるが、諸説ある。また御殿は新造ではなく、それ以前から塁や中世土豪の居館があり、それを修築したとの伝承もある。江戸城虎ノ門を出発し、川崎市小杉(小杉御殿)・一之宮・田村(平塚)を経て、大磯化粧坂に至る中原街道の途次にある。1590年の江戸入部の際にここで鷹狩をしたのを初め、その後も鷹狩や中原止宿が行われた。1613年12月、馬場八左衛門が徳川秀忠の重臣大久保忠隣の謀反を家康に訴えたのも、この中原御殿でのことであった。また家康が没し、1617年に久能山から日光に改葬された際、柩が一夜ここに泊まっている。1642年に修復されたが、明暦の大火があった1657年に引き払われた。

 中原御殿は、現在の中原小学校校地を含む一帯にあった。遺構は残っておらず、校地東辺に石碑と解説板が立っているだけである。往時は東西140m、南北100mの規模で、四方に土塁と堀を廻らし、堀の要所には石垣が築かれ、土塁内側の四隅には大井戸が掘られていたという。大手は東側にあり、中原街道と大手道の交差点には高札場があった。尚、御殿の裏門が善徳寺に移築されて残っている。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.343739/139.329600/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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