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菅谷城(群馬県高崎市) [古城めぐり(群馬)]

DSCN2064.JPG←土塁跡らしき土盛り
 菅谷城は、箕輪城主長野業政の長子吉業が城主であった城である。善龍寺にある墓碑・解説板によれば、吉業は左京亮の官途名を有し、1556年に実弟業盛に箕輪城を譲って、自身は菅谷城主となった。吉業は、1563年に西上州に侵攻した甲斐武田氏の重臣内藤修理亮昌豊と戦い、高崎の豊岡で討死した。時に36歳とも38歳とも伝わる。その後菅谷城は、家老宇喜氏が城代を務めたが、1566年に箕輪城とともに落城した。しかし別説では、吉業は河越夜戦の戦傷が元で16歳で没したとも言われ、どちらが正かはわからない。

 菅谷城は、浄眼寺の南東にあったらしい。市街化で遺構は壊滅状態であるが、主郭と思われる民家の敷地の入口脇に土塁の残欠らしい土盛りがわずかに残っている。また周辺には水路がいくつかあり、これらも堀跡であったと推測される。いずれにしても城の痕跡は殆ど失われており、残念な状況である。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.378649/139.014752/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


長野業政と箕輪城 (シリーズ・実像に迫る3)

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  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2016/12/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


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