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須賀谷原古戦場(埼玉県嵐山町) [その他の史跡巡り]

DSCN2343.JPG←出土した五輪塔群の覆屋
 須賀谷原古戦場は、山内・扇谷両上杉氏が戦った長享の乱の際の古戦場である。1486年に声望の高かった扇谷上杉氏の家宰太田道灌は、主君扇谷上杉定正の糟屋館で謀殺され、道灌死後の翌年、関東管領山内上杉氏と扇谷両上杉氏との間に対立が生じ、長享の乱と呼ばれる動乱となった。1488年2月、扇谷上杉定正の本拠糟谷館を襲撃しようとして実蒔原で敗北した山内上杉顕定は、同年6月に定正の重要拠点河越城を攻撃しようと出陣した。しかし定正は、顕定に反逆していた長尾景春と古河公方足利成氏の子政氏の援軍と共に須賀谷原で迎え撃った。この須賀谷原の合戦で扇谷上杉氏は再び勝利した。この後、11月には高見原で三度目の合戦があり、これにも定正は勝利し、山内上杉氏は3タテを食うこととなった。これら3つの合戦を総称して、俗に長享三戦と言う。

 須賀谷原の合戦は、菅谷館北東の丘陵地で行われたらしい。埼玉の古城巡りで有名なブログ「そこに城があるから」の記事を参考に古戦場推定地を訪問した。住宅団地の只中にある空き地(公園?)の丘の上に覆屋があり、五輪塔数基が建っている。ここでは平成12年に行われた発掘調査の結果、戦国時代の塚や墓壙群が発見され、15世紀後半から16世紀前半にかけての遺跡と考えられており、遺跡の年代と位置関係から須賀谷原合戦と関係する遺跡と推測されているらしい。五輪塔はこの時出土したものという。残念ながら、現地には遺跡についての解説板や石碑はなく、あるのは土地区画整理組合の石碑だけである。歴史を後世に伝えるために、遺跡についての解説板などを是非設置してもらいたいものである。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.038802/139.327809/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


もうひとつの応仁の乱 享徳の乱・長享の乱 関東の戦国動乱を読む

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タグ:古戦場
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