西野城(長野県木曽町) [古城めぐり(長野)]
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西野城は、木曽氏中興の祖とされる木曽讃岐守家村が築いたとされる砦である。家村は、足利尊氏に従って軍功を上げ、1338年に恩賞として信濃国木曽・高遠・向・洗馬等を賜り、妻籠城の他、馬籠・田立・西野に砦を構え、贄川に関所を設けたと伝えられる。木曽の防衛網の重要拠点であり、『日本城郭大系』によれば戦国期には木曽義康・義昌の家臣西野右馬允友重が守っていたと言う。
西野城は、標高1422m、比高250mの城山に築かれている。城山の北の尾根には旧飛騨街道が通る西野峠があり、交通の要地を押さえる城であったことがわかる。現在城跡は町の史跡となり、展望台となっているので、登山道が整備され真夏でも薮漕ぎせずに登ることができる。ほぼ単郭の城で、山頂の主郭の北側にはわずかに土塁が築かれている。主郭の北東と北西に小郭を築き、北西尾根の少し下の方に堀切を穿っているが、かなり浅い堀切でほとんど段曲輪に近い形状となっている。遺構はこれだけであるが、周囲の眺望に優れ、ここに城砦を築いていた重要性はよく分かる。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.948994/137.588761/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
西野城は、木曽氏中興の祖とされる木曽讃岐守家村が築いたとされる砦である。家村は、足利尊氏に従って軍功を上げ、1338年に恩賞として信濃国木曽・高遠・向・洗馬等を賜り、妻籠城の他、馬籠・田立・西野に砦を構え、贄川に関所を設けたと伝えられる。木曽の防衛網の重要拠点であり、『日本城郭大系』によれば戦国期には木曽義康・義昌の家臣西野右馬允友重が守っていたと言う。
西野城は、標高1422m、比高250mの城山に築かれている。城山の北の尾根には旧飛騨街道が通る西野峠があり、交通の要地を押さえる城であったことがわかる。現在城跡は町の史跡となり、展望台となっているので、登山道が整備され真夏でも薮漕ぎせずに登ることができる。ほぼ単郭の城で、山頂の主郭の北側にはわずかに土塁が築かれている。主郭の北東と北西に小郭を築き、北西尾根の少し下の方に堀切を穿っているが、かなり浅い堀切でほとんど段曲輪に近い形状となっている。遺構はこれだけであるが、周囲の眺望に優れ、ここに城砦を築いていた重要性はよく分かる。
北西尾根の堀切→
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.948994/137.588761/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:中世山城
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