峰畑城(長野県岡谷市) [古城めぐり(長野)]
←主郭の空堀
峰畑城は、諏訪五十騎の一人駒沢新右衛門の居城である。駒沢氏は上社系の一族と伝えられ、武田信玄が諏訪を制圧すると武田氏に従ったと言う。
峰畑城は、天竜川東岸の河岸段丘上に築かれている。段丘辺縁部に築かれた城砦と、その東方の緩斜面に置かれた居館から構成されている。城砦の主郭は民家裏にある長方形の区画で、現在はソーラーパネルが並べられているが、南側に空堀が残り、西側に腰曲輪が築かれている。空堀の南の畑地も城の一郭であったと推測されている。一方、居館の方は宅地となっている。車道脇に城址標柱があり、車道と敷地の段差部に見られる低い石積みは居館の遺構であるらしい。小規模な城砦であるが、街道を押さえる要地に置かれたことが現在でもよく分かる。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:【城砦部】
https://maps.gsi.go.jp/#16/36.028217/138.019073/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
【居館部】
https://maps.gsi.go.jp/#16/36.028252/138.020446/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
峰畑城は、諏訪五十騎の一人駒沢新右衛門の居城である。駒沢氏は上社系の一族と伝えられ、武田信玄が諏訪を制圧すると武田氏に従ったと言う。
峰畑城は、天竜川東岸の河岸段丘上に築かれている。段丘辺縁部に築かれた城砦と、その東方の緩斜面に置かれた居館から構成されている。城砦の主郭は民家裏にある長方形の区画で、現在はソーラーパネルが並べられているが、南側に空堀が残り、西側に腰曲輪が築かれている。空堀の南の畑地も城の一郭であったと推測されている。一方、居館の方は宅地となっている。車道脇に城址標柱があり、車道と敷地の段差部に見られる低い石積みは居館の遺構であるらしい。小規模な城砦であるが、街道を押さえる要地に置かれたことが現在でもよく分かる。
居館部の石積み→
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:【城砦部】
https://maps.gsi.go.jp/#16/36.028217/138.019073/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
【居館部】
https://maps.gsi.go.jp/#16/36.028252/138.020446/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
信濃の山城と館〈第6巻〉諏訪・下伊那編―縄張図・断面図・鳥瞰図で見る
- 作者: 宮坂 武男
- 出版社/メーカー: 戎光祥出版
- 発売日: 2013/08/01
- メディア: 単行本