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熊野城(長野県伊那市) [古城めぐり(長野)]

DSCN3885.JPG←堀切
 熊野城は、この地の土豪市野瀬氏の居城である。市野瀬氏は平維茂の末裔と言われ、応永年間(1394~1428年)に市野瀬兵庫正保が熊野城を築いたと伝えられる。その後、但馬守正親・帯刀正久・帯刀久保・兵庫正光と5代続き、1539年に武田氏に従って甲斐へ移ったとされる。その後、一瀬主水入道直繁(一説には越前守直忠とも言う)により、熊野城跡に一ノ瀬城(市野瀬城)が築かれたが、城の位置や規模は熊野城とあまり違ったものではなかったらしい。直繁は高遠領下に属していたが、武田信玄の侵攻を受け、1549年に青柳峠の戦いで討死した。その子左兵衛直長が跡を継いだが、1556年に武田氏に降り、厳しい時代を生き抜いた。その後、1582年の天正壬午の乱の中で保科正直が高遠城を確保し、乱終結後は徳川氏の下で高遠城主となると、直長の子勘兵衛直重は保科氏に仕えた。家老の一人となり、1636年に藩主保科正之が出羽山形藩に転封となると、これに随行したと言う。

 熊野城は、三峰川と粟沢川の合流点西側の比高40m程の城山と言う独立丘陵に築かれている。小規模な城で、南北に長い丘陵に堀切で区画された南北2郭で構成されている。山上には神社が2つ建てられ、北麓から登道が付いている。北の広いのが主郭で、縦長三角形をした平場で、わずかに南西に土塁が見られる。主郭から空堀を挟んで南には二ノ郭があるが、小規模な曲輪で夏場は草叢に埋もれている。なお、城の南西の丘の上には一瀬越前守直忠の墓があり、市野瀬地区内の円通寺には一瀬勘兵衛の母の墓がある。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.739868/138.081408/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


信濃の山城と館〈第5巻〉上伊那編―縄張図・断面図・鳥瞰図で見る

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  • 作者: 宮坂 武男
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2013/06/01
  • メディア: 単行本


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