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湯川城(長野県茅野市) [古城めぐり(長野)]

DSCN2741.JPG←枡形城の現況
                          奥の山は朝倉山城
 湯川城は、枡形城と原の城という2つの城から成る複合城郭である。築城は武田信玄によるとされ、諏訪頼重を滅ぼして諏訪郡を制圧した信玄は、諏訪を足掛かりにして大門峠を越えて東北信濃の小県・佐久・筑摩・更級方面に侵攻した際、軍勢の棒道(武田氏の軍道)筋の中継拠点として築城したと言う。

 枡形城は、滝ノ湯川南岸の段丘先端部に築かれている。南には砦の沢と言う小流があり、原の城との間を分断していたらしい。現在は耕地化で遺構は完全に湮滅しているが、往時は城域東辺を画する土塁・空堀が築かれ、中央の虎口の外側には丸馬出が築かれていたらしい。畑の奥まで行ったが、先端部に腰曲輪らしい一段低い平場が草むらの中に確認できただけである。東を通る大門街道脇に経塚(哨塚)跡の看板があり、湯川城の見張り場の哨塚とも伝えられるらしいが、これも遺構は残っていない。

 原の城は、枡形城の南東400mの位置にあり、段丘の南の辺縁部に築かれている。枡形城同様に耕地化で遺構はかなり失われているが、南東部に堀状地形が残っている。しかし明確な遺構はこれだけで、現在の状況からではどのような縄張りの城だったのかもはっきりしない。

 以上の様に湯川城の全体的な縄張りははっきりしないが、大軍勢の進軍途中の駐屯地として、台地全体に兵卒が野営し、軍団の司令部だけが枡形城など防備を固めた城砦に入ったのであろう。遺構は残念な状況だが、標柱・解説板が数ヶ所に設置されている。尚、枡形城では、毛色がペンキで塗ったように艶艶しい鹿が逃げていった。あまりに艶艶しかったので、最初は鹿の形をした遊具かと思ったほどだった。
原の城の堀状地形→DSCN2786.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:【枡形城】
    https://maps.gsi.go.jp/#16/36.037986/138.220689/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
    【原の城】
    https://maps.gsi.go.jp/#16/36.035019/138.222256/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


図説 武田信玄

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