SSブログ

粟沢城(長野県茅野市) [古城めぐり(長野)]

DSCN2709.JPG←わずかに残る土塁
 粟沢城は、諏訪氏の支城である。鎌倉時代には神(諏訪)氏の庶流粟沢氏の居館であったと言われる。天文年間(1532~55年)には上原城主諏訪頼重の従兄弟諏訪越中守頼豊が、粟沢城主となった。頼豊は、頼重が武田信玄に滅ぼされると武田氏に従い、1582年に木曽義昌が織田信長に寝返ると、武田勝頼の命で木曽氏討伐に出陣し、雪深い鳥居峠で木曽勢と戦って、2月6日息子采女正・源二郎と共に討死した。1582年の天正壬午の乱の中で諏訪郡を回復して諏訪氏を再興した頼忠は、頼豊の弟に当たる。また天正年間(1573~92年)には諏訪氏の庶流沢長門守房重が粟沢城に居住したと言われる。尚、房重は、諏訪頼忠の旧領回復に千野丹波房清と共に活躍したと言う。

 粟沢城は、上川東岸の段丘上に築かれている。台地上の館城で、方形の土塁で囲まれた居館があったらしい。現在は住宅地に改変されて遺構はほとんど残っていない。わずかに南西隅の土塁の一部が車道脇に残っているに過ぎない。尚、城の西側の旧領先端部は大手先の地名があり、粟沢観音が建っている。土塁上に立つ城址石碑だけが、歴史を伝えている。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.998485/138.176079/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


長野県の歴史 (県史)

長野県の歴史 (県史)

  • 出版社/メーカー: 山川出版社
  • 発売日: 2011/01/01
  • メディア: 単行本


タグ:中世崖端城
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー