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十二丁目城(岩手県花巻市) [古城めぐり(岩手)]

DSCN8015.JPG←主郭南西部の空堀
 十二丁目城は、稗貫氏の重臣伊藤氏(十二丁目氏)の居城である。伊藤氏は、稗貫大和守義時が1555年に上洛した際、その随臣として名が見え、瀬川・根子氏らと共に稗貫氏の重臣として知られた。1590年、豊臣秀吉の奥州仕置で稗貫氏が改易となると、十二丁目城は南部氏の持城となり、1592年の秀吉による城郭破却令に従い、南部信直は十二丁目城を破却した。その後、1600年に和賀氏旧臣団が挙兵した岩崎一揆の際、和賀勢がこの城に立て籠もり、南部勢の北十左衛門らに攻撃されたと言う。

 十二丁目城は、北上川西岸の獅子ヶ鼻と呼ばれる台地上に築かれている。城跡は民家と山林になっているが、主郭外周の空堀の一部が残存している。主郭西側に、台地先端まで掘り切ったL字の空堀が残っている。この堀は、南辺でT字に分岐して南にも堀が伸びている。またその東では堀は埋められてしまっているが、東端部にわずかに堀跡が残存している。主郭の西と南には外郭があったと推測され、南の宅地裏に外堀らしい地形が残っているが、現在は水路が敷設されて改変されているので、実際に遺構であったのかは明確ではない。しかし昭和20年代の航空写真を見ても、堀らしい線が確認できるので、遺構であった可能性は高いと思う。残念ながら、主郭西側の空堀以外は遺構の湮滅が進んでいるが、残っている部分だけでも見応えがある。
外堀らしき水路→DSCN8000.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/39.363858/141.130253/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2000/04/01
  • メディア: 文庫


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