羽下城(栃木県宇都宮市) [古城めぐり(栃木)]
←空堀と土塁
羽下(はちだ)城は、下野の名族宇都宮氏の初代藤原宗円と八田(宇都宮)宗綱の父子が2代にわたって居住したと言われる。しかし初代宗円は実在が確認されておらず、2代宗綱は吾妻鑑に「八田武者宗綱」と書かれていることから、常陸小栗御厨内に所在した八田を本拠としていた可能性が指摘されている。従って宇都宮氏が宇都宮を本拠としていたことが明確なのは、3代朝綱からである。ただ、羽下城が築かれた丘陵の南東部には宗円の墓と伝承される宗円塚があり、ここが宇都宮氏の祖藤原宗円の伝説を色濃く残す地であることは間違いない。
羽下城は、前述の通り宗円塚と同じ南東から北西に伸びた細長い独立丘陵に築かれている。丘陵の西寄りに空堀と土塁が山林内に残っている。この堀と土塁は、途中1ヶ所で屈曲している。ただ、これが城館遺構であるのかどうかはかなり不分明で、この空堀・土塁に並行して走る堀底道も見られ、またここには旧日光街道が通っていたとの話もある。仮に遺構だとしても堀・土塁が1本走っているだけで、区画を形成しているわけでもないので、羽下城跡なのかどうかよくわからないというのが実態である。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.584029/139.816282/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
羽下(はちだ)城は、下野の名族宇都宮氏の初代藤原宗円と八田(宇都宮)宗綱の父子が2代にわたって居住したと言われる。しかし初代宗円は実在が確認されておらず、2代宗綱は吾妻鑑に「八田武者宗綱」と書かれていることから、常陸小栗御厨内に所在した八田を本拠としていた可能性が指摘されている。従って宇都宮氏が宇都宮を本拠としていたことが明確なのは、3代朝綱からである。ただ、羽下城が築かれた丘陵の南東部には宗円の墓と伝承される宗円塚があり、ここが宇都宮氏の祖藤原宗円の伝説を色濃く残す地であることは間違いない。
羽下城は、前述の通り宗円塚と同じ南東から北西に伸びた細長い独立丘陵に築かれている。丘陵の西寄りに空堀と土塁が山林内に残っている。この堀と土塁は、途中1ヶ所で屈曲している。ただ、これが城館遺構であるのかどうかはかなり不分明で、この空堀・土塁に並行して走る堀底道も見られ、またここには旧日光街道が通っていたとの話もある。仮に遺構だとしても堀・土塁が1本走っているだけで、区画を形成しているわけでもないので、羽下城跡なのかどうかよくわからないというのが実態である。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.584029/139.816282/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1