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松崎楯(岩手県遠野市) [古城めぐり(岩手)]

DSCN6085.JPG←五重堀切の一部
 松崎楯(松崎館)は、横田城(鍋倉城)主阿曽沼氏最後の当主広長の家臣松崎監物が城主であったと伝えられる。

 松崎楯は、猿ヶ石川と小烏瀬川の合流点西側の比高80m程の山上に築かれている。すぐ東の峰には、出城として松崎東楯(仮称)が築かれている。松崎楯に登るには、南東を通る市道脇から松崎楯と松崎東楯との間にある谷に入り、それを登っていくと左手に大きな谷地形が見えてくるが、これが実は松崎楯の多重堀切から落ちてくる大竪堀で、しかも登城道を兼ねているので、これを登っていけば良い。また松崎楯と松崎東楯との間の谷には、木戸口らしい段も見られ、これが往時の大手道であった可能性がある。前述の大竪堀を登ると、竪堀は2つに分岐し、右手のものはそのまま登っているが、左手のものは屈曲しながら腰曲輪群の横を登っており、腰曲輪群に通じる登城路であったと推測される。山頂には主郭があり、きれいに削平されている。前述の腰曲輪群は、主郭の東側に何段も築かれている。一方、主郭の南西には段曲輪群が数段築かれている。段曲輪群の西下方には横堀が穿たれている。この横堀は、段曲輪・主郭の西斜面を走って、背後の多重堀切に繋がっている。主郭は後部に土塁が築かれ、その背後の尾根には中規模の五重堀切を穿っている。陸奥国域では初めて見る五重堀切で、しかも見応えのある規模である。3本目の堀切外の土塁は上端が丸い平場となっている。五重堀切だけでもすごいのだが、松崎楯では更にここから落ちる竪堀が、複雑な堀のネットワークを形成している。内側4本の堀切は、西斜面で合流しながら屈曲して三重横堀に変化、外側の堀から分岐して竪堀が落ち、また外側2本の横堀は少し先で合流して竪堀となって落ちている。一番内側の横堀は、もう少し先まで伸びた所で竪堀となって落ちるが、その側方から横堀が派生して、前述の段曲輪西の横堀へ繋がっている。5本目の堀切だけは、西斜面にまっすぐ落ちている。一方、東斜面では、まず真ん中3本の堀切から落ちる竪堀が合流して1本の竪堀となり、そこに更に5本目の堀切から落ちる竪堀が合流、更にその下で1本目の堀切から落ちる竪堀(前述の腰曲輪群に繋がる登城路)が合流して、最終的に1本の大竪堀となって東の谷に落ちている。以上が松崎楯の遺構である。尚、主郭に到達した瞬間、立派な角を持った大きな雄鹿がダッシュで逃げていった。非常に見応えのある遺構と、大きな鹿とで、とても印象深い城である。
 また遠野阿曽沼氏の領域ではこの城に限らず、周辺地域では見られない多重堀切・多重横堀の防御構造が突然変異的に現れる。この築城技術がどこから来たのか、大いに考えさせられる。
南西の段曲輪群→DSCN6131.JPG
DSCN6095.JPG←竪堀群が横堀群に変化

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/39.366894/141.551424/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。


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タグ:中世山城
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