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火渡楯(岩手県遠野市) [古城めぐり(岩手)]

DSCN6463.JPG←東尾根の三重堀切
 火渡楯(火渡館)は、横田城(鍋倉城)主阿曽沼氏の一族火渡中務の居城である。中務の子広家(後に玄浄と称す)は、1600年に阿曽沼広長が最上出陣の留守中に鱒沢広勝らが反逆した際、それに与せず抵抗した。その為鱒沢氏らの攻撃を受け、火渡楯で数日の攻防戦の末討死したと言う。尚、広家の遺児倉之助は寺に匿われて生き延び、後年南部氏に忠臣の遺児として召し出され、土淵の山口村に50石を与えられた。

 火渡楯は、荒川西岸の比高60m程の丘陵上に築かれている。主郭には神社が建っており、その参道が南尾根に整備されているので、それを登って城に行くことができる。城域は思ったよりも広く、山頂から北西に伸びる尾根先端までの全域に遺構が残っている。中間部に堀切があり、それより上が主郭群、下が二ノ郭群である。いずれの郭群も段差で区切られた多数の段曲輪群・腰曲輪群で構成されている。主郭群は北西に向かって伸びた縦長三角形の郭群で、最上段には前述の通り神社が建っている。しかし最上段の主郭は大した広さはなく、詰城的な曲輪である。二ノ郭は横長の広い曲輪で、前面に腰曲輪群を何段も築き、北西に伸びる尾根に段曲輪群を築いている。この段曲輪はほとんど丘陵の麓近くまで築かれている。この城で出色なのは、主郭群・二ノ郭群の北側に穿たれた長大な横堀で、二ノ郭群の北では1本だが、主郭群の北東では二重横堀となり、東尾根に近づくに連れて堀が大きくなっている。この二重横堀は主郭側方の東尾根を穿つ堀切となり、二重横堀のまま主郭背後の南東斜面に回り込んでいる。この二重横堀から神社参道脇に竪堀が落ちている。また参道の主郭手前にも堀切が1本穿たれている。前述の主郭東尾根では、二重横堀の外側にもう1本堀切が穿たれ、合計で三重の堀切となっている。この内、一番外側の3本目の堀切はまっすぐ尾根を掘り切っているが、横に横堀が派生して、堀のネットワークを形成している。この他、主郭群・二ノ郭群の間の堀切から落ちる竪堀は、北斜面の横堀に繋がっている。以上が火渡楯の遺構で、南東の平地側よりも斜面の傾斜が緩い北側の谷に面した部分を、横堀群で重点的に防御した城である。
主郭群を構成する曲輪群→DSCN6356.JPG
DSCN6370.JPG←主郭群・二ノ郭群を画する堀切

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/39.406364/141.537992/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。


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タグ:中世平山城
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